酒というご褒美を設定してしまうと、それ以外の時間がまったく楽しくなくなるという構造的にして不幸な問題。

酒やめて、1902日。

「大学でいくらでも遊べるから」という理屈

思えば私が高校生の頃、教師の言うことは決まっていました。いわく、大学に入ればいくらでも遊べるのだから今は勉強だけしろ!

大学生活というご褒美があって、それを得るために勉強という努力があるという構造ですよね。

でも一方で教師はこんなことも言っていました。勉強は面白い。いや、勉強じゃないですね、学問は面白い、と。

確かにドラマや映画の『ガリレオ』シリーズなどを視ていると、主人公にして探偵役の湯川学(福山雅治演)は、物理学の問題を考えながら「実に面白い!」と言ったりします。で、それより面白いのが犯罪捜査であって、だから内海刑事(柴咲コウ演)や岸谷刑事(吉高由里子演)には大学には来ないでくれなどと「ツン」しながら、犯罪捜査という謎解きに「デレ」してしまうのでしょう。

この辺は、シャーロック・ホームズ(@コナン・ドイル)や御手洗潔(@島田荘司)も同じです。「誰か、魅惑的な謎くれええええ!」状態ですから。ホームズさんごときは、犯罪という謎に没入するときだけ大好きなコカインをやめられるという、これはこれでなかなか興味深い状態を現出させます。

彼らは当然のようにご褒美が待っているからでなく、謎を解く課程そのものが楽しいからやっているのです。

ひるがえって勉強、いや学問も同じ……なのでしょう。実際、名門中高一貫校の秀才などは、授業が終わった後も黒板に数式を書いて楽しんでいるといいますもんね。私などにはまったく分からない境地ですが。

そして学問が楽しいのであれば大学に行くのはさらに学ぶためであって、「いくらでも遊べる」という餌(?)は必要ないわけです。

湯川学や御手洗潔の境地に達することができる!?

じゃあ仕事は、というふうに考えてみます。私にもアル中までは行ってなかった(と思う)会社員時代もありまして、でもまあそのときも仕事中はあー早く定時になんないかなあそしたら飲みに行けるのに、とか考えているわけで、つまり酒=ご褒美、仕事=苦行になっていたわけですよ。以前もこの点については書いたことがあります。土の中のセミ状態です(参考「飲んでいないときは土のなかのセミ? そんな状態はもうゴメンです」)。

本来であれば、湯川学やシャーロック・ホームズや御手洗潔にとっての謎解きのごとく、それ自体が自分の頭の中に報酬を与えてくれることが理想ですよね。ところが酒というご褒美があると、まったくそうならずに仕事は苦行であると自分の中で規定してしまう。結構これって怖いんですよ。

今思えば、自分の高校時代の勉強も「いくらでも遊べるから」があったから苦行になっている一面もあった、と。数学って面白いやん、が理想……というか、まあ、でもそれって「夢」ですよ、夢。私のようなものにとっては。

でも、ですね、今、酒飲まないで仕事をしていると、ご褒美がないからまあ坦坦とやるしかないけれども、それ自体が、若干ながらでも脳に報酬が与えてくれることがわかってくるのです。このこともいつも書いていて恐縮ですが。

ということは、ですよ。私のような者でも、レベルは違えど、湯川学や名門中高一貫校の秀才たち、あるいはシャーロック・ホームズや御手洗潔の境地に達することができる、と。酒やめれば、「夢」が実現する、と。そのように考えますが、何か?

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