酒やめて幸せになれるかどうかわからない。しかし幸せを感じ取れる能力は確実に向上するという話。

酒やめて、1365日。

断酒が人生を好転させるのはなぜか

今日で酒やめて1365日です。ブログを始めたのがやめて1000日目なので、そこから1年経ったことになります。300本目までが毎日更新でそれからは二日に一度程度更新してきました。だからブログ本数としては365本いってないけれども、まあ一応区切りといえば区切りです。きわめて個人的なものですけれども(笑)。

ですから、多少は「まとめ」めいたことを書いてみたいと思っております。

一昨日もこのことに触れ、またいつも書いているテーマ(?)ではありますが、酒をやめると人生が好転するやいなや問題というものがありますよね。で、それには、現実的な側面と精神的な側面があると思います。

現実的なことについては、これは確実に向上します。なぜならその原動力である時間とお金とエネルギーが生まれるからです。ただしこれも一昨日書きましたが、それを実感するのに時間がかかり、そこに至るまでに再飲酒してしまうリスクもあったりします。

このソリューション(?)としては、「好転した!」したエビデンスとなる情報(≒ブログ)はネット上に山ほど……とまではいきませんが、そこそこありますので、それを読み続けるなりするのがよろしいかと思います。私の場合はそうしていました。みんな向上したんやからこんな俺でもそうやろう、というわけです。まあなにしろ飲酒時代が最悪でしたので、どんなかたちでも「好転」なんですけどね、私の場合(苦笑)。

「酒やめると幸せになる」を科学すると

で、今回言いたいのは精神的な部分ですね。つまり幸せになったか否かということです。人生が現実的に好転していくのは幸せになることとニアリーイコールではありますがイコールではありません。

たとえば酒をやめると交友関係も変わってきますので、即座に断酒=幸せかどうかは、難しいところがあるのかなあとも思います。

ただし言えるのは、ですね、幸せを感じ取れる能力は確実に向上するということです。つまり些細なこと、極端な話、空が青くても幸せを感じられるようになった。これは本当に大きな変化です。

逆に言えばそういうことを感じる能力さえ、酒によって奪われていたのですよ。本来人間が持っている幸せ感じ取り能力をスポイルしてしまう。これもまたやはり酒の恐ろしいところでしょう。

さらに、これもいつも書いていて恐縮ですが、酒飲みは「酒を飲む」ということを正当化したいがゆえに、根拠のない自信だけは常に持っているのです。なぜなら、持っていないと酒飲めないからです。そして、酒飲み独特の、「俺だけは大丈夫」心理となります。

で、酒をやめると、そうした「俺だけは特別」という独善的な考え方が消え、ということは「俺だけは特別」から当然のように発生する「なんで世間はそんな俺を受け入れないんだ」「なんで上手くいかないんだ」もなくなりますので、これもまた幸せ感じ取り能力の形成に貢献することとなります。

まあそんなふうに小難しく考えなくても、酒やめるとどんなことでもそれは自分の幸せだと感じられるようになる。繰り返しますが、こうした能力だけは確実に向上すると思いますね。というのが、ブログを始めて一年経った実感であります。

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