断酒は意志の力でやる苦行ではない。それはデータと頭脳を使って行うゲームなのだキリッ!?

酒やめて、1363日。

野球もサーフィンもすでに根性論は脱した!?

一昨日書いたこと(参考「アルコール依存症における「周囲の人の理解」問題を考えてみる」)に関連して、世間のアル中やアルコール依存症に対する見方と当事者のギャップのようなものについて、もうちょっと記してみたいと思います。

結局のところ、自分の体験から言えば、そして多くの断酒者も実感されているでしょうけれども、本人の意志(の強さ)というものをベースにしては、断酒は決してできないです。

でも世間には、意志が弱いからアル中になるし意志が弱いから酒やめられないという根強い見方があり、それが齟齬を生んでしまいます。

このことは、野球と比べてみるとわかりやすいかもしれません。

つまり昔の野球は根性論だったわけですよ。「うさぎ跳びをしろー」とか「走り込みをしろー」てやつです。

でも今は違いますよね。少なくともプロ野球はデータを駆使して行うものです。日本においては、野村克也監督のID(インポートデータ)野球がきっかけになったのでしょうし、アメリカでは映画『マネーボール』に見られるように完全に常識化しているようです。繰り返しますが、野球は今、データと頭脳を用いて行うスポーツになっています。

私が、飲酒の代替としてやっているサーフィンも同じです。私がサーフィンを始めた80年代は、根性パドリング論がまかり通っていました。波に乗るためにはパドリング力が何よりも必要だということです。これは一概に否定できるものではないので難しいところですが、今は、パドリング力は絶対ではないという考え方が主流になりつつあるようです。

ただしその一方では、やはりパドルだあ~という主張もあり、海などで初心者を教えている方などを見ると「(パドルをして)漕げ漕げ漕げ!」と叱咤(?)していたりもしますので、パドル原理主義は根深いものがあります。今は、サーフィンに関しては、パドル信仰と「パドルじゃないよ」のせめぎ合いの時代なのかもしれません。

えーとすみません、以上の話はあくまでもテイクオフについてであって、もちろんサーフィンの基本はパドリングなのですが、これはサーフィンブログではなく断酒ブログなのでその辺の話は措いておきます。

で、断酒についても、今はサーフィン界(?)同様、せめぎ合いの時代なのかもしれません。断酒には意志の強さが必要(≒根性で行うもの)という考え方と、アル中を病気であると捉え、それをどうやって治療するかという「科学」が角突き合わせており、それが、一昨日取り上げたまんしゅうさんの対談記事のようなかたちで露見している、といったところではないでしょうか。

エビデンスはネット上にやまほどある!

私に関して言えば、このブログを始めた頃に「宣言」しましたが、意志はひと一倍、いやひと十倍弱いです。それは、これまでの人生において親や教師や友人たちにさんざん指摘されてきましたので、もう掛け値なしの事実でしょう。だから断酒といっても、意志の強さで続けているわけではまったくないのです。

じゃあ「科学」に頼っているかと言えば、もちろん広い意味ではそうです。しかしとくに病院や薬剤の助けを借りたわけではないので、医療科学には頼っていません。

一昨日も書きましたが、一番役に立ったのはネット上の情報ですね。ですから個人的には以下のように言えるのではないかと思っています。

断酒は根性でやる苦行ではない、それはデータを駆使して行うゲームだ。

格好つけすぎですね。ただ、確かにそうした実感はあります。そしてそうであっても、何らかのベネフィットがないとやる気が起きないのも確かです。

で、このベネフィットについては、このブログで散々言及させていただいていますが、やはり時間とお金とエネルギーを手に入れることができる、それが人生を好転させるということに尽きると思います。

ただ、これは即座に実感できるわけではないので、これから断酒を始めようという人には、そこが難しいところなんですよね。断酒すると人生好転すると言われても、なんとなくスピリチュアルぽく聞こえてしまうので今一つ信用できなかったりします。私もそうでした。その伝でいえば、「データを駆使して行うゲーム」ではなくなってしまう感もあるのですが、ただエビデンスはネット上にたくさんある。これは厳然たるデータです。

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