酒やめて、1102日。
「小人閑居して不善をなす」を地でいくアル中
スクールの語源が「スコーレ」、ギリシヤ語で「余暇」だと聞いたのは確か小学生か中学生くらいのときだったと思いますが、心底びっくりしました。暇があったから人類は勉強を始めた。これは、お馬鹿なガキを驚かすに十分な破壊力でした。暇があったから勉強する? なんだそりゃ? てなもんですよね。馬鹿な小学生は暇があったら遊ぶに決まってますから。
一方、中国の諺で「小人閑居して不善をなす」というものがあります。さすが中国人は率直というか現実に即しているというか(笑)。
これを習ったのはたぶん高校生のときだと思いますが、みんなで「お前のことだ!」「いやいやお前のことだろ!」みたいな言い合いになりました。まあ多くの高校生も、暇があったら勉強よりも不善でしょう(笑)。
この辺の事情はアル中もまったく同じで、暇さえあれば酒を飲む。まさに「不善をなす」です。今から考えれば。
今の時代、「閑居」が必要なのだ
さて、このブログでも書き連ねていてもうしつこいようですが、酒をやめるとマジ暇ができます。最初はあまりにも暇なので何をやっていいのかわからず、本当に戸惑ってしまいます。どのように不善をなしたらいいかさえもわかりません。
時間を有意義なことに使えばいい、遅ればせながらいろんな経験をしてみようとは思うのですが、それにはお金がかかるのですよ。勉強にしても旅行などにしても、ですね。その当時はお酒をやめたばかりですから手元にお金があるわけでない。ただこの点について、やめてしばらくすると、自由になるお金が時間ほどではないですがそれこそ湧いてきます(笑)。
ともあれ、断酒したばかりのときは、不善も不善じゃないことも、なしたくてもなせない。そこで何をすればいいか考えます。
一番お金がかからないのは掃除ですね。飲んでいた時代は掃除など当然ながら大嫌いでしたが、まあ暇だしテレビも面白くないし、なんかお金がかかんない暇つぶしないかなあと思って、しょうがないから掃除を始めると、案外これが頭をスッキリさせてくれていい暇つぶしになることがわかります。
あと、簡単に始められるのはランニングです。ランニングは以前もかきましたが(参考「依存する対象をアルコールではなく何にするのか」)、脳内快楽物質の分泌を酒の代わりに促してくれますから、暇つぶしのなかでも「特別」です。あるいは近所の、一般開放している中学校のプールで泳ぐとか。水泳は、最高の暇つぶしであるところの睡眠に導いてくれるので、これも好都合です。
で、そうこうしてるうちに、よしじゃあ断酒ブログをやってみようとか、その頃は多少自由になるお金もできていますし、そのほかいろんなことを勉強してみよう、体験してみようという気分になったりします。そうすると、酒をやめたことが未来につながると自分で納得させることができるのです。
酒をやめて暇になった=閑居したとはいえ、この場合、不善をなすわけではない。今の時代、自分の自由になる時間を確保して、そこで「不善」でない、何らかの有意義なことをする。それが未来につながる。確実にそうなっています。
逆にいえば、現代における最悪の「不善」は「閑居」を奪う酒、ということになりますよね。
あと、そのように考えると、人生のなかで最大のスコーレを得られる大学時代に何をするのか、ということの重要性もわかってきます。『青春の門』で筑豊から出てきて早稲田大学に入学した伊吹信介しゃんは、「俺は人に会いに来たのだ」と大学入学の目的を明らかにしますが、確かにそれは普遍的な大学の機能にしても、もうそれだけではすまない、それだけではいけない時代に確実になっています。