酒による自己正当化がマジでヤバい時代にあって、酒をやめようと考えているだけでもアドバンテージだという説。

酒やめて、1262日。

「あいつはアル中だけど俺は違う」論のヤバさ

昨日、酒は頑固ジジイ化を加速させ、それは今の激変の時代にあってかなりヤバいのだという説(?)を展開させていただきました(参考「200年に一度のパラダイムシフトに頑固ジジイではとてもじゃないけど対応できない。ましてや酒飲んでいたら……」)。言い足りない部分もあったと感じていますので、続きというか、別視点からもうちょっとお話しさせていただきたいと思います。

私ももちろんそうでしたけれども、過飲酒習慣があり、アル中、アルコール依存症になろうという素質がある人は自分を正当化します。とにかく酒を飲みたい、飲むことを周りに認めてほしいので、俺はアル中じゃないだからまだ飲めるんだということを周りに過度にアピールしますし自分にも言い聞かせます。このあたりは、よく知られているところですね。

余談ながら私などは罪な存在だったと思いますよ。つまり私がいるおかけで、「あいつ(私のこと)よりは俺は酷くないからまだ飲んでも大丈夫だ」という確信(?)を、周りの人間に与えていましたから(笑)。

これは、ストロングゼロと似ていますね。ストゼロもまた「俺はストゼロには手を出してないから大丈夫」という謎論拠をもたらす存在ですからね(参考「「ストロングゼロは飲んでない!」で一線を引いてしまうことの危険さ」)

とにかく、俺はお前とは違うだから飲んでも大丈夫というのは、アル中あるいは予備軍の典型的な心理ですよね。

それが、こと酒に関してにとどまっていればまだいいんでしょうけれども、ヤバいのは、自己正当化が他の局面でも出てきて、その人の考え方すべてを支配するようになることです。そういう思考パターンは平常時でも社会の迷惑ですが、今の激変の時代にあってはまったくお呼びじゃないということです。

変化を受け入れる謙虚さがなによりも必要な時代だから!

このようななか、酒をやめないまでも酒をやめようと考えているということは、それだけで頭脳が柔軟性を保っているということになるのではないでしょうか。自己正当化が酷い人間は、端からそんなこと考えませんから。いや、考えてるのかもしれませんが、おくびにも出しません。傲慢になっているのですよ。私もそうでした。

で、酒をやめるといいことあるよ的なブログを読むことは、かなりの効果がありました。このブログも、そんな一助になればと思っています(笑)。

そして自画自賛というか断酒者理論ではなく本当にそう思うのですが、こういうブログを見ているという時点で、頭が柔らかいということですよね。傲慢さとは対極の謙虚さがあるのです。これこそ激変の時代、一番大切なものだと思います。上からの物言いで申し訳ありませんが。

ですから、実際にやめるかやめないかでいえば、もちろんやめた方がよいのでしょうが、まずやめようと思ってる時点で、自己正当化ジジイよりは遥かにアドバンテージを持ってると思ったりもするのですよ。激変の時代、流行り(?)の言葉でいえば、VUCAな時代に対応していく上で。後はやめるだけですからねー。

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