酒やめて、2890日
「我慢」じゃなくて「自由」なのだった
皆さま、あけましておめでとうございます。今年も当ブログをよろしくお願いいたします。
年の初めでもあることですし、たまには本質的なこと(?)を書いてみようと思い、それがタイトルでございます。
実は年末の30日から本日まで海辺のホテルに宿泊し(いつも泊っている民宿が正月休みなので)サーフィン三昧です。まさに自由ダーであり、むろんこんなことは生まれて初めてで、飲酒時代からすればまったく考えられんことだなあという思いを強くするのであります。
そうした「自由」は、娘が嫁に行ったりして(こういう言い方ももはやポリコレ的にアウトなのか? じゃあどう言えばいいいんやろ?)、ライフステージ的にそうなのですが、ただもし酒を飲んでいたら多年末年始、さまざまなしがらみに引っ張られていたと思います。
さて、酒をやめるというと、とかく我慢するととらえられがちですが、いやいやいや、まったくそんなことはなくて、飲酒以外のすべての自由が手に入るとTwitter断酒部の皆さんも口を揃えるところであり、ということは、掛け値なしの真実です。
その自由とは、もちろんライフスタイル的にもそうなのですが、何がどのように自由になるかという点については人それぞれでしょう。
ただし、心持ちが自由になる点は共通しているのではないでしょうか。すなわち断酒という大事業をやっているのだから、それ以外は何をやってもいいんだという、いわば自分で自分を許す(?)自由です。そして酒をやめたことで周りの見る目も変わってきて、その自由を認めるようになるという構造があるように思います。
なので繰り返しますが、我慢じゃなく自由なんですよ。そして断酒の目的は「自由(を得ること)」と考えれば、強いモチベーションになるという構造もまたあります。
人生にスジを通せば「自由」が得られる!?
で、実はこれって蓄財も同じなんだよなあと一昨日のブログを書きながら考えた次第です。
生活をミニマムにしてお金を貯めていくという行為は一見我慢のように見える。ただ、ある程度貯まると自由になるというのはマネーリテラシーの高い人が一様に言ってることで、これまた掛け値なしの真実でしょう。それはたとえば100万の貯金があれば今の仕事を辞められる自由があるとか、そのようなことですよね。仕事を辞めるとかそのような大きなことでなくても、貯金があれば、人生いろんな局面の判断が自由になります。
そしてこうしたことのほかにも、ちょうど断酒で心持ちとしての自由が得られるように、蓄財でも心持ちとしての自由が得られると思うのですよ。
蓄財するにあたって、消費が美徳ではなく、ミニマムの生活ベースの倹約こそ美徳とすることは、確たる自分の信念に基づくものですから、自分で自分に自由を許すことになると思うのですよ。うーん、上手く言えませんが、生活や人生に一本スジを通すことで、自分に対しても周囲に対しても、「自由」にやらせてもらう権利を手に入れる、というか。
ともあれ断酒も蓄財も、それで得られる成果も、またその過程もまた「自由」である。やらない手はないんじゃないかということを、年の初めに言いたいのでございました。
さて、このブログですが、これまで2日に一度の更新を原則としてきましたが、酒やめて「自由」を手に入れたがゆえにいろいろやってみたいことが出てきていまして、もちろん終活にも手をつけねばならん。なので、今年からもうちょっと間隔を空けた不定期更新とさせていただきます。変わらぬご愛顧をいただければ大変嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。
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