酒飲んでいると、人生一歩踏み出すことができなくなるのがヤバいのだ。

酒やめて、2370日

酒さんに、酒しか選択肢がないよう仕向けられている

以前も書かせていただいたテーマですが(参考「「金も暇もないし何にもできん。できることといったら酒飲むくらいだ」←これの人生破壊力」)「金も暇もないからなんもできん」といったことを言う人はよくいます。以前の私がまさにそれでした。そして私の場合はタイトル通りで、「(だから)酒飲むしかない」になっていました。

もっと言えば、金も暇もないことを酒飲む理由にしていたのです。今考えればそれこそ酒さんの戦略であり、金と暇をなくして自分しか選択肢がないように仕向けているわけですよね。

一昨日、酒やめると、「(酒)しょうがねえから〇〇でもやるか」というふうになるという話を書かせていただきましたけれども(参考「酒やめると、「継続」に一番必要な時間というものが生まれるのが大きいよね、という話」)、飲酒時代はその真逆だったのです。

繰り返しますが、酒を飲まないとワサワサ時間が湧いてくるもんだから、結果的に暇ができて「しょうがないから〇〇やるか」になる。〇〇は勉強だったり、あるいはこんなふうにブログを書いたりすることも含まれるかもしれませんが、その〇〇が人生を好転させてくれる。か、どうかはわからないけれども、少なくとも人生を新しいステージに導いてくれる。それだけは、経験上からも確かです。

それとは反対に酒を飲む習慣があると、私のようにアル中とまではいかなくても、なにもすることがないときの第一にしてほとんど唯一の選択肢が酒になりますので、恐ろしいことに、人生が一歩も進まないのですね。今考えれば。

酒さんにとっては現状停滞が都合がいいわけですね

私の場合でもアル中時代、このまま飲み続けていたら人生詰むな、という不安というか確信はありましたけれども、しかし前に進むために何かやるためにはお金も暇も必要でして、それを酒さんに奪われているのだから何もできない、酒飲むくらいしか、という無限ループを繰り返していました。

これもいつも書いていて恐縮ですが、昭和の時代あるいは平成初期まで(竹中改革までと言ってもいいかもしれない)であれば、雇用が保障されていて、老後を迎えたときには年金などの社会保障も機能するだろうと考えられていたので、「やることないから酒でも」という生き方も、またありだったでしょう。

でも今は、誰もがなんらかのかたちで、将来のネタを仕込んで行かなきゃいけない時代と社会状況ですよね。そうしたなかにあって、酒飲んでいるがゆえに踏み出せない、酒を飲んでるがゆえに現状停滞してしまうのは非常に怖いことであるなあと思っております。

そう考えると、酒やめて、暇もできて、まあ何事かにチャレンジする程度の原資もできて、いろいろ始められたのは大きいと思いますよ。それが、自分の将来にとってなるかならんかわからんけれども、少なくとも「経験」は積むことができますから。と、自分を励ましている次第でございます。

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