酒という逃げ場があるから、かえって苦しみが助長される件。

酒やめて、1858日。

「酒悪くない、酔っぱらい悪い」のなんと虚しいことよ!

ここのところずっと、酒のマッチポンプ力の恐ろしさについて書かせていただいてますけれども、これはマジ実感であります。

しつこいようですが酒は意思を持っているかのように、自分にとって都合のいいように人間を造りかえていきます。これは依存対象物の中でも特別なのかもしれません。

たいていの依存対象物は、それがタバコにせよ糖にせよ、身体的にわいが欲しいやろ〜と追い込んできますが、酒の場合はそれに加えて、社会的にもそのように追い込んでくるところが敵ながらあっぱれ(?)なのですね。まさにストロングゼロが象徴的で、人生が辛ければ辛いほど美味くなるという名言(?)もありますもんね。これは洒落のように語られますが、一面の真実でもあります。

だから、芸能人が酒で問題を起こすたびに、それに対して大御所芸能人がコメンテーターとして語るお決まりのセリフ――酒は悪ないで酔っ払いが悪いんやは、非常に陳腐かつ虚しく聞こえてしまいますよ。そして自分は酒に飲まれない立派な人間だというアピールが透けて見えるところも鼻白んでしまいます。

まあ、こういう人間、一般人の酒飲みでも多いですな。かくいう私がそうでしたから(汗)。

どーせ逃げ場なんてないんだという開き直り←ラクです

それはともかく、「社会的」というのは大げさかもしれませんが、人生における諸問題について、酒があると、その解決を酒に求めてしまうということは確実にあります。タバコには求めないのに。これまた私もまったくそうでした。そうすると、飲んだその時はまあ解決した気分にもなるけれども、当然ながら本質的な解決にならないどころか、先送りにすることで、さらに事態は悪い方向へ進みがちです。

今思うと、その一番安易な、しかし本質的な解決にはならない「逃げ込み先」があるからこそ、人生の諸問題というやつが自分の中でどんどん増殖して、社会的にも増殖して、人生が苦しくなっていた。何を当たり前のことを言われるムキもあるでしょうし、このように書いてみても当たり前すぎる気もするのですが、言いたいことは、うーんちょっと違うのですね。

つまり、酒という逃げ場がないと考えるのも、それはそれでラクということなのであります。

心理的に、酒という「逃げ場」があると、逃げられないとき、つまり酒を飲んでない時の、人生の諸問題とやらの圧が強くなる。早く逃げたいと思うから、ますます苦しくなる――といった感じでしょうか。

で、酒をやめると、その逃げ場がなくなります。逃げ場がないと、問題に向き合うしかない。というと綺麗事なのですけれども、しかしリアルに、とりあえず向き合うしかなくなる。

するとなんというのかなあ、そんなに苦しくない。ちゃんと向き合えば解決策が出てくる、というと、これもいかにも綺麗事で鼻白んでしまうのですが、少なくとも放置したままよりいい。そして重要なのは、繰り返しますが、「逃げ場」がないという思いが、苦しさを軽減してくれるのです。

以下のようにも言えるのではないかと思います。

酒さんの側から見た場合、飲み手であるところの人間が問題を放置する、先送りすることこそ自分にとって都合がいい(たくさん飲んでくれる)からそうさせるわけです。そしてその問題をより大きく見せ、お前は解決できないだからもう自分に逃げるしかないんだよというふうに思わせるのです。悪質ですよ。

じゃ、酒さんのおっしゃる通り解決できないかというと、まあそんなこともないなというのが酒やめてみての実感ではあります。

このあたりは、「酒やめると人生好転する」メカニズムにも関与する部分なのでしょうけれども、もう逃げ場がないんだから向き合って取り組むしかなかろうもん、となります。そして大きいのは酒やめると、執着心が薄くなり諦観ベースで生きられることです。上手く解決できなくても、飲まずに俺はやるだけのことをやったんだ後は知らんもんね、という諦観が、苦しさを軽減してくれたりもするのです。

ま、小難しいことを言い連ね、上手く伝えられたのかどうか、はなはだ自信がないのですが、要は酒やめると、いろいろラクだということを言いたかったのでありました。

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