酒やめて、1672日。
なにがOKで何がNGなのか
愛知県のロックフェスである「波物語」が糾弾の対象になっています(参照「”超密フェス”「波物語」公式SNSに非難殺到「音楽シーンの恥」「払い戻し無かったの根に持ってる」」)。その前は「フジロック」ですね。さらにオリンピック・パラリンピックということになるのでしょうか。要は国民には自粛だなんだかんだで規制をかけておきながら、イベントだけはやるのかよー、という感じですね。基準が恣意的に運用され「ダプスタ」が横行する世の中になっている気もします。
まあオリパラやるやらないは日本や東京都の一存で決められることでもないし(たぶん)、それぞれのイベントにしてもそれぞれに事情があったと思いますよ。でも我々一般人からはやはりダブスタに見えてしまい、これはわかりやすい見え方だけにメディアも飛びつき、さらに煽ります。
さて、今回のコロナで、メディアはとにかく「糾弾対象」探しに鵜の目鷹の目であり、その最大の標的は日本政府ひいては私たち日本人(の国民性)のようですが、ただ「テレビ朝日朝まで飲み会事件」などに見られるように「どのクチが言ってるんかー」状態であり、まさにダブスタです。
今回のコロナ禍に関して、何がいかん誰がいかん論で言えば、もうどう考えても衆目の一致するところ……かどうかはわかりませんが、私が個人的に思うのは、
①中国政府
②日本のメディア(売名専門家含む)
③医師会の上のほう(もちろん現場の医療人は大変でしょうけれども)
であります。
自己正当化のために他者を糾弾する手法
で、こいつらとあえて呼ばせていただきますが、こいつらの特徴は「自分」と「糾弾先」をダブスタで区別し、他者を糾弾することで自分の正当性を確立しようとしているところですよ。たとえば①は「アメリカガー」ですし、②は先に述べたように「日本政府ガー」ですし、③は「出歩く一般人ガー」です。
とまあ、こんなことを断酒ブログの分際で書いても詮ないことですが、もうちょっと言わせていただければ、①と②はお友達ぽいので、②は①を絶対に糾弾しないですよね。①の罪について言及しないのは世界中で②だけじゃないでしょうか。そう考えると、中国に責任取らせたる~の急先鋒であり、ワクチン開発の恩人でもあったトランプさんがいなくなったのは本当に世界の痛手だと思いますよ。
そして、実はその①②③のあり様に共通している人たちもいて、ですね、それは飲酒者ってやつですよ。いや、別に普通に飲んでりゃいいんですよ。でも飲酒者の一部は他者に「酒飲み過ぎだよ」と言いたがるのです。さらに断酒者に対しても「俺はやめなくても大丈夫」と言いたがります。自分は飲んでいいけど他人はいかんという「ダプスタ」を使いたがるのです。飲んでいる自分を正当化するために他者を糾弾するという手法が、①②③そっくりですわ。
もちろんこんなのは、あっさりスルーすればいいわけです。だって彼らは、いずれ自分で自分の責任を取るのですから。①②③とは違って(?)。とまあ、三回続けて同じ結論になりますが、そいつらを冷ややかに見つつ酒やめれば、あるいは断酒を続ければいいんですよ。