酒やめて、2444日
「アル中になる自由」は全世代において幻想だった!?
「僕らにはもう「アル中になる自由」がない」といったことはこのブログでも度々取り上げてきて私の持論でもあります。エラソーですまんが。
裏を返せば、ある一定の年代以上、そして年金リッチとされる人たちはアル中になる自由があったわけですよ。お父さんは定年まで一生懸命働いて子どもを大学まで行かせて家も建てて、だから今は、朝からお酒飲んでもいいでしょ飲ませてあげましょうよ、てなことです。
ただねー、父の介護で現在の医療や介護の実態に触れるに従って、案外そうでもないのかなあと思ったりもしているところでございます。この辺のこともよく書かせていただいていて繰り返しになりますが、ざっくり言ってしまえば、酒を飲む習慣があると、日本の介護医療システムにおいて切り捨てられた民になってしまうということです(参考「飲酒習慣があると、老人ホームにも入れないという衝撃の事実!」)。
「酒を飲む人」というか「酒を飲まずにはいられない人」が高齢者になったとき、それに伴って起きるさまざまな身体的社会的問題についての対応は、精神科が特化して行うようなかたちになっていますが、こっちはこっちでいろいろ問題もありそうなのでいずれ書いてみたいと思います。断酒ブログ……というか私の手にあまりそうですはありますが(汗)。
さて父の場合、飲んでもいいという触れ込みの老人ホーム(これは本当に希少な存在です。場所にもよるのでしょうが)を探して今入居しているのですけれども、「飲む」となるといろいろ問題が発生してしまっているのも事実です。これまた以前にも書いていますが、認知がある程度進むと酒による影響は加速度的に大きくなるからです。むろん人によるのでしょうが、脳の衰え+酒は思ってもなかった行動を引き起こすとは医師の弁でもあります(参考「介護現場でこれから先、起きること。ますます酒飲んでる場合じゃありません」)。
現役続行したいのならもちろんですが
でもって、そんなふうに父の介護をしていると、自分の行く末――有り体に言えば死に方ですよね――についても考えてしまいますよ。「人生の終わらせ方」なんてことははよく言われますけれども、今や、老後リッチ世代においても、その人生の終わらせ方について、酒があるといろいろ難しくなっている。いわんや我々の世代においてをや、ということです。
このブログでは、私の場合、現役を続けなきゃならないから酒やめた、みたいなことを訴えて……というか、自分に言い聞かせてきたわけですが、別に現役を続けずリタイヤしても、そしてそれがハッピーリタイヤに近いものであったとしても、酒を飲む習慣があると、いろいろ面倒くさいことが起きてしまう、ということを、先ほどから申し上げているのであります。
むろんこのブログは断酒の良いところを並べ立てるという側面がある……というかそれが目的なので、そのような結論になるのですが、そうしたことを抜きにしても、今の日本の状況を考えると「人生店仕舞い」においても酒がないほうがいいのかなあと、改めて考える次第でございます。
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