酒やめて、3039日
むろん減酒よりも断酒のほうがラクであります
一つ前のエントリで「やっぱり酒とは添い遂げられないよね、長寿化ならなおさら」といった話を書かせていただきました。その中で、酒を自然にやめられる――つまりだんだん酒量が減って最後には「もう飲まなくていいや」になる人と、若い頃と同じように飲み続ける人がいることについて触れました。後者は、平均寿命が短かった時代ならそれでもよかったのかもしれませんが、ここまで長寿化してしまうと、無理ゲーぽくもあり、どこかで何かが起こると考えた方が良いと思われます。この点について確たるエビデンスがあるわけではないですが、私の周りや父などを見ているとそうです。
さて、酒量を減らすといえば、久里浜医療センターの減酒外来が有名ですよね。断酒ができないのなら減酒すればいいじゃないというもので、もちろん久里浜医療センターがやってることなのだから、こちらは確たる科学的根拠があるのでしょうが、少なくとも私には無理だろうなと思います。
というのは、私の場合は飲むとなったらもう徹底的に飲みたいので、たとえば毎日ビール一杯だけならオッケーなんて言われても、そんなの蛇の生殺しそのものであり、それなら飲まなくていい、一杯で我慢しろだなんてキリスト様でもそんな残酷なことはおっしゃらなかった状態になってしまいますよ。
ですから当然のように、そして断酒er界隈ではよく知られているように、減酒よりも断酒の方がよほどラクという結論になってしまうのですが、言いたいのはその先であります。
ナチュラル減酒に憧れますが
冒頭に挙げたエントリの中でも触れましたが、自然に飲まなくなるという人はわりに多いのですよ。これを「ナチュラル減酒」としましょう。人類のDNAに組み込まれているようなものなのかもしれません。
ただし、酒に対する耐性ができてしまうと、アル中まで行かなくても、若い頃と同じ、あるいはそれ以上の量をずっと飲み続ける状態になります。
こうなると、もはや「ナチュラル減酒」は無理で、自分で意識して、それこそ久里浜メソッドなどを使って減酒しなければならないですよね。それを「インテンショナル減酒」とでも言いましょうか。
しかし繰り返しますが、この「インテンショナル減酒」は非常に辛いと思われます。もう私は絶対できないです(しつこい)。
で、思うのは、やっぱり「ナチュラル減酒」できていればなあ、ということですよ。それが人間の自然な姿なのでしょうし、そういう人はマジ羨ましいです。でも、自分に耐性ができる前にいわば寸止めで酒量を減らすなんてことは、キリスト様だってそんな奇跡を起こすことは不可能でしょう。
酒を飲むというのも因果なことであり、若いうちから意識して飲まないことだけが、唯一の「ラクなメソッド」になるのでしょうけれども。
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