再飲酒それ自体がヤバいのではない。「ストーリー」を伴った再飲酒がヤバいのだ。

酒やめて、2306日

食前酒を飲んでしまいそうになったのだった!

ちょっと前に「人生において「イベント」は必要なのだろうかと考えてしまった断酒erなのでありました」という話を書かせていただきました。まあ温泉宿に行くなど、私にとっては非常にレアな体験なので、今回も引き続きネタにさせていただきたいのですが、夕食時に食前酒が出たのです。食前酒なるものを目にするのも、本当に久しぶりでした。むろん量は少なくて、おちょこ2/3程度です。梅酒だったと思います。その時、私は思ったのですね。まあ飲んでもいいかな、と。

断酒したばかりの頃だったら断固拒否したでしょうけれども、もう6年を超えていますし、このぐらいはいいいだろうとふと考えてしまったのですよ。そして妙な自信もありました。

というのは、断酒期間中、アルコールをまったく口にしなかったわけではないからです。飲み会のような場では、普通にホッピー外(0.8%)は飲んでいましたし、あるいは、それ以上のアルコール含有量のパウンドケーキの類もよく食べていて後で気づくことも度々でした。一番危ないのはロッテのチョコレートRUMMYであり、こいつは含有量3.7%というツワモノで、うっかり食べてしまったことが2回あります。そのときは結構ガツンと来て、あーこの感覚だという、こういうと変ですが「懐かしさ」にとらわれたりもしました。

ただ、それでも再飲酒トリガーになったわけではないので、食前酒についても、RUMMYよりも大丈夫やろうという思いもどこかにあったのは確かです。

ただ、結論からいうと飲みませんでした。間違って3.7%のRUMMYを食べることと、ある種の確信を持って食前酒を飲むことには大きな違いがあると思うのです。そのからくり(?)を書いてみたいと思います。

再飲酒してまた一週間飲まないと……

まず私の再飲酒に関する考え方を、誰にも頼まれてないのに勝手に述べさせていただくと、何らかの理由で再飲酒(スリップ)したにせよ、それはそれで「てへぺろ」ってことで、また断酒を始めればいいと思っておりますし、私もそうするつもりです。そしてその「てへぺろ」をするためには対象が必要で、たとえばTwitter断酒部などで活動し「対象設定」することも重要でしょう。

一方、再飲酒に際して理論武装してしまうと、それは要は自己正当化ですから、なかなか再断酒することができなくなるという話も以前書かせていただいております(参考「中田敦彦さんの「断酒やめた」を、元アル中としてせつなく思う理由」)。

実は私の周りにも断酒をがんばってきたけど再飲酒したという人もいます。そういう人に話を聞くと、大丈夫かなと思って飲む。あるいは、飲みたくなって飲む。その時はたとえばビール一杯だけ飲んで収まる。そしてそれからまた一週間ぐらい飲まなくても平気だというのですね。ただ、その一週間後に飲みたくなったときに、一週間飲んでないことがある種の自信になっていて、確信をもって飲んでしまう。そこからまた飲酒習慣が始まるというから、やっぱりそうした自らがつくりあげる「ストーリー」が危険であり、私の今回の食前酒も、ストーリーの入り口に立った感があったのです。

繰り返しますが、食前酒を飲もうかなと思った理由には確信があり、それは、まあ飲まないのもしらけるしなあ、という状況的に追い込まれた感(?)もあって、そこに危険を感じたのです。て、そのときはむろんそこまで考えたわけじゃないけど。

まあしかし、トラップはいたるところにあるということですよ。でもそのトラップにかかった時に、それをいわば「奇貨」として、それに迎合するストーリーを紡いではならんとあらためて思いいたった次第であります。

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