酒やめて、2038日。
大それた理由付けで再飲酒してしまうと、戻りにくい!?
断酒者にとって永遠のテーマといえるものが再飲酒ってやつです。これをどうやって切り抜けるかが断酒を続けていくにあたって大きな課題となる……なんてことは今さら私のような者が言うまでもありませんけれど、ただ基本的にはたとえ再飲酒したとしても、「てへぺろ」でまた断酒に突入すればいいと思っています。
では、なぜ再飲酒したくなるのか。むろん断酒初期の場合、酒飲みたいという単純な欲望に屈して、というものがあるでしょう。
ただし断酒1年を超えている場合、やっぱりそれなりに理由があります。それはもちろん外的要因もあるでしょうし、あるいは自分の中で理由付けをしたりするケースもあります。「自分の中で」の場合、いろんな思考パターンを経たあげく再飲酒になるわけですよね。
たとえば中田敦ちゃんのケースでは、事業を行うため、というふうにしていました。ただ、そのような大それたことを理由にしてしまうともう一度断酒に戻りにくいんじゃないかという余計なお世話な話も、以前書かせていただいております(参考「中田敦彦さんの「断酒やめた」を、元アル中としてせつなく思う理由」)。
人生に酒という夾雑物がちょびっと入ってきただけで
さて、内的要因の一つには、今が快適すぎるから逆に、というのもあると思うのです。
どういうことかというと、いつも書いていて恐縮ですが、酒やめると時間やお金やエネルギーがわさわさ湧いてくるので、これを使っている余裕を持って人生というものに当たれ、結果として人生が非常に快適になります(そんな単純なものではないのですが、大筋としてはそうです)。そこで、こんなに快適なんだから、ちょっと彩りを添えるために酒飲んでもいいんじゃないか、という思考パターンになるときがあります。ま、人によるでしょうが、私はときどきなりますねー。
ただねー。そこで思い直すのは、これは飲酒に限らず、満足している状態+アルファの考え方や実践って、まあ自分の人生を考えてもあまりいいことはなかったということですね。「足りるを知る」を知らないと、だいたい人生上手くいきません。角を矯めて牛を殺す状態になりがちです。
とまあ、そうした一般的な(?)危険が「快適な生活+彩りとしての酒」にはある、と。
加えて飲酒行為には、他の「彩り」とはまったく別の意味あいがあると思うのです。つまり、最初は「彩り」だったものが人生を支配してしまうということですね。まさに角を矯めて牛を殺す状態です。
それはよく言われるように、どんどん量が増えるということももちろんあるでしょう。
そうじゃなくても、酒という夾雑物が人生に入ってくることによって、そしてそれを少しでも意識すると、当然のようにそれが楽しみの一つになってしまう。そしてその楽しみがあるがゆえに他の時間というのがあまり相対的に楽しくなくなってしまう。具体的には、晩酌の時間を楽しみに一日を生きてしまうのです。
たとえ「彩り」であっても、人生全般を覆ってしまうことが酒の一番の怖さであり、だから今が快適だから、もう少し快適にするために酒でも飲んでみようか、が成立しないと、ここであらためて確認する次第でございます。
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