「アル中」ははたしてポリコレの対象になるのかならないのか。これは病気か否かということでもあり、断酒メソッドにも関わる問題です。

酒やめて、1696日。

容姿いじりは最悪だが、禿げだけは対象外!?

自民党総裁選が近づいてきました。そうした中、高市早苗議員の容姿に対する、左翼界隈からの中傷を日刊サイゾーが取り上げています(参照「高市早苗議員の容姿を「妖怪」「化け物」とコキ下ろす左翼の皆さん「革命無罪!?」)。以前は野党議員が麻生太郎氏の容姿を揶揄したこともありましたね。ただし、こうしたことにいつも舌鋒鋭い大手メディアは、まったく批判的に捉えていません。自民党議員、とくに右派はヘイトの対象外とでも思っているのでしょうか。

さて、いわゆるポリコレの厳しさは昨今急速に高まりましたが、自民党議員と同じく治外法権に入っているかのような存在もあります。

そう「禿げ」です。禿げだけはいじっていい、ということが、ポリコレ地獄の世の中で、ある種「聖域」のようにもなっています。昨年のものですが、こんな記事もありました(参考「ポリコレ重視の時代 最後に残ったハゲ・無職中年男いじり」)芸能界で誰がヅラという噂をするのも日本人の楽しみの一つ(?)で、私の亡くなった母の友人には自称判定名人がいるほどです。

もちろん本人が隠している場合は、なかなか指摘しづらいものがありますけれども、それでも一般人はともかく芸能人のヅラ疑惑指摘はおそらく治外法権でしょうし(なにしろ芸能人はγ-GTPの数値までネタにされるくらいですからねえ)、一般人でも、本人が堂々と世の中にさらしているケースでは、それを指摘しても現在のところポリコレ対象にはならないようです。

このあたりのことを勝手に分析すると、①対象が男性である、②白髪か禿げかと言われるが、白髪方向に行ったとしてもいつかは禿げる、あるいは薄くなる、したがって早いか遅いかの問題、③なんとなく可笑しみと愛らしさ(?)があるから、になるのでしょうか。

と、前置きが長くなりましたが、これだけ厳しいポリコレ世界の中で、実はアル中も禿げに近い……と言ったらなんですが、揶揄の対象になったりします。私などは「お前はアル中だから脳が萎縮している」などとよく言われていました。

このブログでも何度か取り上げていますが、そう指摘してくる人はいわゆる多重サイマーだったので、「そういうあんただって多重サイマーやろー。財布が萎縮してる」と言いたかったのですが、それはなかなか憚られるものがありました。つまりポリコレ対象度(?)においては、アル中の方が多重サイマーよりもレートが低いというわけです。

むろん多重債務の場合、いろんなケースがあるのでひとくくりにはできないのですが、ただし、ご本人がキャバクラ通いなど快楽追求のための浪費でサイマーになっている場合は、これはアル中と同等扱いでよろしいのではないかと元アル中としては考えるわけですよ。

それはともかく、昨今では「アル中」という言い方を使わず「アルコール依存症」という言い方をしますよね。これは存外重要なことで、アル中というと属性のような感じがし、アルコール依存症だと病気になります。そして病気であるところのアルコール依存症をディスるのはご法度です。一方、アル中は前述したように「禿げ」にきわめて近いと思われます。

アルコール依存が病気かどうかは関係ない!?

とまあ、元アル中としてヘイトに対する恨みつらみを書き連ねてきたのですが、ここからが本題です。

アルコール依存症がポリコレで守られるのは病気や否やということにかかっています。そして前述のように今では病気であるということが常識です。だから病院に行きなさいというふうになります。

しかし一方で、たとえば『依存症ビジネス』の著者でデイミアン・トンプソン氏(アル中→断酒大先輩!)は、「アル中イコール病気(疾患)」は、AA(アルコホーリクス・アノニマス)が編み出した公式であるとしています(むろん同氏はAAの功績は認めていますし、自身もお世話になったと記しています)。医学会も、アル中(アルコール依存症)イコール病気説ですよね。

もちろん、アル中あるいはアルコール依存症の治療(?)について、AAに参加する、あるいは医療機関にかかることは有効でしょう。ただし私の場合、AAに参加したわけでもなく、病院に行ったわけでもありません。そうしようと思ったのですが、とくに病院に関しては、やはり抵抗が大きかったのです。

で、AAで行われることについてはよく存じあげないのですが、たとえば病院に行った場合、当然、健康面からのアプローチがなされます。ただ私の場合、身体について考えるよりも、自分の人生の中で酒を飲むことが妥当かどうかを考えることが断酒には有効だったと思います。健康アプローチでなく、社会状況アプローチというのでしょうか。つまり、このままだと身体的に死んでしまうよ、ということよりも、社会的に死んでしまうよ、ということが怖かったのです。

このアプローチだと、飲み続けてもいい人と飲み続けちゃいかん人が分化します。そして飲み続けちゃいかん人の割合が今の日本ではどんどん大きくなっていると思うわけです。結局のところ断酒というのは社会状況の変化と切っても切り離せず、それは病気であるか否かとは関係ないというのが私の考えであり、誰にも訊かれちゃいませんが披露させていただいた次第です。

ポリコレという点について最後に触れれば、「アル中だ」とヘイト(?)されるのも、断酒モチベーションになる側面もあると思われます。

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