酒やめて、1780日。
「任期中は飲まない」て、落選したら飲むのかよ!?
二個前のエントリーで「酔った勢いの「社会悪」って、今、どこまで許されるんでしょうかね?」という話を書かせていただきましたが、書いていて元アル中→断酒者の心の琴線に触れる(?)文言がありましたので、その点についてちょっと考察してみたいと思います。
それは山田勝彦議員飲酒不祥事の謝罪会見におけるコメント――任期中は飲まない、です。
ツッコミたくなる発言ではあります(笑)。というのはやっぱりそういう場合「一生飲みません」「酒はやめます」と言うのが普通やろ~という気持ちが私の裡にあるからです。元アル中でさえそうなのだから、普通の方々はもっとそうでしょう。最近はそれが社会通念になっています。ですから山口達也さんの「今は飲まない」も、「『今は』かいっ」と突っ込まれたわけで。
でも一方で、元アル中としてその気持ちは非常によくわかる……部分も当然あります。山田さんにしても山口さんにしても、やっぱりどこかに「酒飲める可能性」を残しておきたいのですよね。
いや、これはまったくもって私もそうでした。アルコール性低血糖で倒れた時も、病院での血液検査でガンマGTPが異常な数値を示していて明らかにアル中というのがバレてしまったこともあり、入院を強硬に勧められたのですが、とにかく必死で断り、頭の中では帰ってもうすぐ終わりそうな仕事をちゃちゃっと片付けたら今晩は存分に飲もうと考えてましたから。
ただ、そこでふと、飲み友(現断酒友)が酒をやめるために教育入院してみようかなあ、と言っていたのを思い出し興味半分で電話したら、彼がちょっと前から酒をやめていると聞いたことが、今に至るまで断酒を続けているきっかけとなっています。
しかしそれは僥倖といったものです。そこで電話してなかったら、断酒なんてこれっぽちも考えなかったでしょう。
飲酒後の事後処理が面倒くさいのだ!
さて、私の周りでも、病気などで酒を禁じられた人間もいますが、ただし医者の「少しだけなら」という言葉にすがっていたりもします。それにしても医者の言う「少しだけなら」のラスボス感は半端ないですよ(参考「「適度な飲酒」←こいつのラスボス感が半端ないという話」)。医者も、①あーこいつにやめろと言っても無理やと思っている、②専門のアルコール外来ではないので深刻さが違う、③自分も結構飲むので酒に甘い、のどれかなのでしょう(そうなのか?)。
ともあれ、アル中までいってなくても、飲酒習慣がある人間は、どこかに酒を飲む道を残しておきたいのです。山田議員はじめ芸能人も、きっぱりやめると言ってしまうと、なにせ公人ですから責任問題(?)になってしまい、それは避けたいのかもしれないし、それほど酒の力は強力だということですな。
ちなみに山田議員は「私人としてお詫びする」と言って、「私人」行為だったので、「公人」としての議員責任までは及ばないという展開にしましたが、これを聞いて皆さん、どう思われたでしょうか。私の場合、うわあそんなレトリックまで使わなければならないのかよ、そこまで策を弄すのかよ、チョー面倒くせええええ! でした。そして一私人として、そういうことの圏外にいられる喜び(?)を噛み締めたのでした。
このブログでも度々書いてますが、飲酒習慣があるとリスクマネジメントが面倒くさいです。飲んでる時代はなんとか飲む手立てを残したいといろいろ考えるほど執着していましたが、いろいろ考えなくていいというのがこれほどラクだったとは、と今はやっぱり感じ入りますねー。
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