酒やめたらやることなくなる……というのはまったくの杞憂だった件。

酒やめて、1259日。

ペスト禍で大発見をした偉人もいるというのに……

「ニュートンの創造的休暇」という言葉を、コロナ自粛以来わりに耳にするようになりました。つまりニュートンは17世紀のベスト大流行のとき、学校(ケンブリッジ大)も休業になり、その暇を使って思想にふけり、万有引力や微分積分などの着想を得たというものです。

さすが、偉人は違いますなー。その真逆が小人閑居して不善を成すってやつですね(参考「酒をやめれば、小人閑居して不善をなす、ではないことがわかるよ」)。

ただし今、この大激変期においては、私のような「小人」でも、ニュートンの顰に倣わねばならなくなっています。といった話も、これまでにも書かせていただいてきましたね(参考「こんなときだからこそ一番必要なのは考えるための時間。そしてそれを生みだすのは断酒です!」)。

ともあれ今、ここで何かをやるかやらないかで、将来が決まってしまうという側面は確かにあります。そして当然ながら、それを一番邪魔するのは酒だということもまた何度も書かせていただいてます(たとえば参考「自由とは、時間+エネルギー+金の総和であり、この三つをすべてダメにするのが酒だという件」)。

で、またぞろコロナ自粛になるのならないのするのしないのみたいな話が出てますけれども、とりあえず「長い休暇」が終わった今、やっぱり酒飲まないといろんなことができる、あるいはできたなあという当然のような実感があります。

酒飲まなくても、まったく退屈しない!

酒飲まないと退屈するだろうとよく言われます。まったく私もこの論の信奉者でありました。つまり酒やめたら、その時間、何をやっていいのかわからないということですね。実際それが怖くて酒やめられない方も多いのではないかと思います。私がまさにそうでしたから。

でもですね、実は酒をやめた方が、そして私の場合テレビもやめたのですが、この二つがない方がやることが山ほど出てきて退屈することなどまったくないということがわかります。それは、こういうブログを書いてみようだとか、そういう私なりの「創造的休暇」(笑)にしたい思いの具現化だったりするのですが、とにかく酒をやめると、自分で何かをやってみようという気がむくむくと起きてきて、それを自分でどんどんタスク化していくわけです。重要なのは、タスクといえどもやるのが嫌じゃないし、それなりにドーパミンも出てくるということです。掃除など日常的雑事も同じです。

「酒を飲む以外何をやったらいいんだろう」だったところ、まったくパラダイム転換し、「こんなこと酒を飲んでたらできねえよなあ」「まったく酒飲んてる場合じゃないぜ」になってしまうのです。

そして酒飲まずに、自分に課したタスクを一つずつこなし、それを積み上げていくことで、若干スピリチュアルながら、人生の好転に結びついていくのかなあ、と。

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