『深夜特急』に描かれた「ハッシシ+安宿」が、現代日本に現出している件。

酒やめて、1256日。

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どっか行きたいから『深夜特急』を読む!

ここのところというか、コロナ外出自粛以来、どっか行きたい要求がヒジョーに高まっていて、同じような方も多いと思いますが、私の場合インドに行きたくて仕方がありません。これまで行ったことはないのですけれども、なぜか昨年ぐらいからインド行きたい病にり患しております。

あるいは酒を飲んでいないことと関係しているのかもしれません。インドは酒に比較的厳しい国だと言いますもんね。この理由については以前書かせていただいたこともあります(参考「なぜインド人は酒を飲まないのか。そこには、未来に向けた指針が隠されている!?」)。まあそんなこんなでインドに興味があるわけですよ。バナラシ行ってガンジス川で沐浴する勇気はないし、他に何をしたいというわけでもないのですけれども。

あえて言えば、昔読んだ名著『深夜特急』の、まあ真似ごとみたいなことをやってみたいなーという潜在的な欲求があり、それが子どもも独立しいろんなことから解放された状況で顕在化してきたのかもしれません。

で、『深夜特急』また読み返してます。著者の沢木耕太郎さんはヒッピーというかバックパッカーの走りで自由気ままに旅行するわけです。にも関わらず、物語の底に流れているのは旅の重さのようなものです。旅人は究極的に自由な存在ではあるけれども、長期間どこかに滞在していると、独特のけだるさというか、旅の澱のようなものがたまってくるようです。それは、旅とは対極にある引きこもりにも似た雰囲気があります。

実際冒頭の部分に、デリーの安宿にずっといて日がな一日ハッシシを吸っているフランス人の話が出てきます。それを見て沢木さんは、自分もその「境地」に引き込まれそうになるのを感じてあわてて出立します。逆に言えば、そっち方面に行ってしまう危険を常にはらんでいるわけです。

そして、この安宿を自宅、ハッシシをストロングゼロに置き換えてみると、引きこもりの飲んだくれそのものですよね。

なぜ『深夜特急』に出てくるフランス人旅人がそういう生活ができるかというと、きわめて物価が安いからです。今はずいぶん事情が違うのでしょうけれども、沢木さんが旅をした時代は、先進国とインドとの物価格差が非常に大きかったので、そういう生活を長期にわたって続けられたのでしょう。

「安く暮らせる」にはまってしまうと……

そして今の日本を見てみると、幸福同調圧力――たとえば一軒家に住まなければならないとか、子どもを私立の学校に行かせたいとか、そういうことから離れてみると、案外安く生活できるわけです。それを今、私が実感してます。

たぶん他の先進国から来た人は、今の日本の生活費の安さに驚くでしょうし(ついでに賃金にも)、長期滞在も可能なのではないでしょうか。日本にもいそうですよ、ゲストハウスとかの安宿に泊まって、日がな一日、ストゼロ飲んでいる旅人。で、日本在住の我々も、案外、そんなふうに暮らすこともできるのではないかと。一人で暮らすんであれば、そして将来的なことを考えなければ、フルタイムで働かなくても、しつこいようですが、日がな一日ストゼロ飲みながら暮らせるようになっています。

そうするとそこから抜け出すのは、かなりのエネルギーが必要なのかなあと。安酒飲みながらダラダラ過ごす、ある種の心地よさは、深夜特急のヒッピー的な心地よさがあり、それが案外抜け出せない理由になったりするのかもしれません。

でも、暮らしぶりはそうであっても、そしてハッシシはどうか知らないけれども、酒は確実に頭脳を殺していきますからね。ここがやっぱり怖いところです。それが、今の日本と、深夜特急的な隠遁生活あるいは堕落生活との違いかもしれませんね。『深夜特急』を読みながらそんなことを考えた次第であります。

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