アルコール依存はもちろん多重債務もヤバくないですよ。酒さえやめれば。

酒やめて、1372日。

アル中は多重債務者よりヘイトされやすい!?

アルコール依存あるいはアル中と多重債務のどちらがよりヤバいか、どちらが人生終わってるかというテーマはこのブログで好んで(?)取り上げているもので、それはなぜかといえば、私はアル中時代、お前はアル中だ! と、とある多重債務者からよく指摘あるいは非難されていたからです(参考「アルコール依存と多重債務、どっちがよりヤバいか?」)。

ではその人に対して、そう言うあんただって多重債務やろーと言い返せたかといえば、なかなかそれは憚られるものがありました。

その人は自分が多重債務であることを堂々と(?)カミングアウトしていたのですが、それでもそうした指摘をするのは抵抗があったのです。それはわりに一般的な感覚ではないでしょうか。

アル中はアル中だと指摘されるのに、多重債務者はそれとは指摘されない、社会的なコンセンサス(大げさ)があるのですね。

これはちょっと前に書いたアル中と周囲の理解というテーマ(?)とも関連すると思います(参考「アルコール依存症における「周囲の人の理解」問題を考えてみる」)。

アル中やアルコール依存症は、本人の意思が弱いからだとかだらしがないからなるわけではないことが「周囲の理解」に含まれるようになっている、かといえば、なかなかそうではないことを、アル中→断酒大先輩のまんきつさんなどが指摘するところです。

だから冒頭に書いたように、お前はアル中だと気軽に(?)揶揄してくれるような人が出てくるわけですよ。

一方でなぜ多重債務者を気軽には揶揄できないかといえば、多重債務になるのは本人がお金にだらしないという側面もあるとは思いますけれども、ただ現在は、それが貧困起因であり、社会の犠牲者という捉え方もできるからです。また事業が上手くいかずに、という人も多いでしょう。

ですから、キャバ嬢に貢いで借金苦になったという人も当然ながら大勢いるにしても、そうした事情がわからない以上、たとえ「お前はアル中だ」と言われても、「そういうあんたは……」とは言い返せないわけです。

アル中も多重債務も「終わってない」よね

さて、多重債務はその解決に自己破産などといったいわば飛び道具があるだけアル中よりマシ……と、冒頭に引用した記事には書きましたが、ちょっと訂正させていただきます。アル中だって、ある意味、その解決に究極の飛び道具があります。

それは当然ながら「酒飲まない」です。これは非常につらい。でも、とにかく一日飲まなければ、その一日はアル中じゃないわけですよね。そして何日か断酒・禁酒を続けて、また再飲酒したとしても、何度でもやり直しできます。ですからある意味「飛び道具」です。

アル中、アルコール依存は病気だといいますし、そうした「周囲の理解」は必要ですが、ただ治療に「やめる」という「飛び道具」が使えるだけ恵まれています。今年他界した私の母はがんで余命宣告を受けていたので、そうした人に比べればなんと恵まれていることか、とマジで思いますよ。余命宣告までいかないにしても、障がいを抱えた人や慢性の病気の人から見れば、「やめる」だけでいいとか、うらやましい限りでしょう。

と、ここで話は多重債務者に戻るわけですが、そうした多重債務者のブログを読むと、多重債務を解決していく過程が見事に「経験」になり、その「経験」は、たとえば多重債務を解決する法律事務所のアフェリ広告に結び付いていたりするのですね。「経験が収益になる」今の時代を端的に表わしているようにも見えます。

アフェリ的には、借金系ブログは、あるいは借金系YouTubeでもいいのですが、それはかなり有利な位置にありますよ。少なくとも断酒ブログに比べて(笑)。

もちろんアル中、アルコール依存症かつ多重債務であるという人も多いと思います。

そうした場合は、ですね、借金体験を収益化しようという気力が湧いてこないのですね。酒は、時間とお金と、そして人生を好転させようというエネルギー≒気力を徹底的に奪いますんで。そうやっておいて、気力を震い立たせるためにわいの力が必要やろ~、と囁きかけてくる、超絶悪質な存在です。いつも書いていることを繰り返して恐縮ですが。

でも逆に言えば、酒さえ飲まなければ、多重債務のような大問題だって、よーしこの経験を収益化したろ、という気力が湧いてくるのですね。まあ断酒ブログ理論と言われればそれまでですけど、ただ人生、気力さえあればなんとかなる、というのは、酒やめてみて、本当の本当の実感ではあります。

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