僕たちは今まで、あまりにも自由を謳歌しすぎた?

酒やめて、1028日。

大昔にやっていて、主役の一人だった野際陽子さんが亡くなった時に再注目されたドラマ『キーハンター』。今見てもかっこいいの一言に尽きるのですが、オープニングテーマの最後のナレーションに「彼らが求めるものは自由、願うものは平和」というものがあります。確かに戦後民主主義は、自由と平和、この二点をひたすらに希求してきました。

酒規制と花見はバッティングする!?

ここで話は「酒」「断酒」になるのですが、今、酒規制というものが行われようとしています。来年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、「広告規制」「屋外飲酒規制」「飲み放題規制」が中心になるようです。

このうち「屋外飲酒規制」については、お花見とバッティングするとのことで、かなり話題にもなりました。「日本の文化である酒、そしてお花見に対してお上がものを申すのはいかがなものか」という声もあります。まあ、大手メディアは本当に「規制」が嫌いですからねー。

余談ながら、制服がない某名門高校が入学式に「服装や髪型は自由だが、下駄だけは履いてくれるな」というお達しをしたら、早速翌日数人が下駄を履いて登校したというエピソードもあり、メディアには、そうした高校の出身者が多いことも関係しているのかもしれません(笑)。

もちろん、青春時代はそれでいいと思うのです。青春時代は誰もが、尾崎豊やホールデン・コールフィールドになる必要というか必然があります。私の高校時代の親友のFくんなんか、高校時代からバンズのスニーカーを左右色違いで履きスケートボートをするという典型的ポパイ少年(死語)だったのにも関わらず、大学時代は三里塚行ってましたもん。私にしても、就職の面接で「尊敬する人はジョン・レノンとチェ・ゲバラ」とか言ってました。馬鹿です。

ただ、日本という国に置き換えて考えると、そうした自由や反逆を謳歌できる「青春時代」はもう終わってしまったように思えます。「戦後民主主義の曲がり角」というやつですか。中国が全体主義ならではの効率のよさで、あれだけ成長してしまったことを目の当たりにしたせいかもしれません。

断酒で社会貢献できるのか?

「自由と平和」は、結構行き詰まっています。とくに自由については、自由ベースの権利の総和が一定であるのに関わらず、声の大きな人ばかりがそれを行使している、ということを、ネットによってみんなが知ってしまいました。だからそれよりも、ある程度、それこそ「お上から」調整してもらって全体の最適解を見つけたほうがいい。その最適解に向けて、一人ひとりが自分がなにをできるかを真剣に考え行動する。SDGsなどはこうした文脈ですよね。そうしないと、マジで、サスティナブルじゃなくなっちゃうわけです。

で、酒規制もこの流れのなかで考えたほうがいいと思うわけですよ。個人の酒規制である「断酒」についても同じです。私の場合は、断酒をまずは自分への貢献と位置づけようと、まあ、そういうふうに都合よく考えてたわけです。そうやって考えを進めていくと、行き着くところは、やはり「断酒ドネーション」になります。自分が断酒を努力することによって、なんらかの社会貢献になるという仕組みがあれば……、とせつに思うわけです。これは、断酒を続ける大変なモチベーションになる、と。

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