断酒モチベーションは「玉杯」のなかにあった!

酒やめて、1027日。

東大駒場キャンパス

一高、すなわち今の東大教養課程、その寮歌である「嗚呼玉杯に花うけて」について、今週号の週刊ポストの連載『逆説の日本史』で、著者の井沢元彦さんが面白い見解を述べていました。

一高の寮歌には、新解釈があった!

まずはその寮歌の歌詞を引用します。今はもう著作権が消滅しているので。

嗚呼玉杯に花うけて
緑酒に月の影宿し
治安の夢に耽りたる
栄華の巷低く見て
向ケ岡にそそり立つ
五寮の健児意気高し

で、井沢氏は以下のように解説します。

今まで、この「嗚呼玉杯に花うけて」の主語は、一高の寮に住む一高生だと考えられていた。つまり一高生たちが「栄華の巷低く見て/向ケ岡にそそり立つ」五寮(一高には寮が5つあった)において、「嗚呼玉杯に花うけて/緑酒に月の影宿し/治安の夢に耽りたる」していた、という解釈だった、と。

この寮歌がつくられたのは、日英同盟が締結された1902年。当時世界のなかで圧倒的な軍事大国、経済大国の英国と同盟を結んだことで、日本はロシアの脅威から解放され、「治安の夢」を見ることが可能となり、国の未来の指導者たる一高生も、そのような夢を共有していた、と。まあ、そのように解釈されていたわけです。

だが井沢氏は、それは大間違いだと言います。「嗚呼玉杯に花うけて/緑酒に月の影宿し/治安の夢に耽りたる」している、つまり飲んだくれて浮かれているのは「(栄華の)巷」、すなわち一般人だと。これを「低く見て」、「向ケ岡にそそり立つ」五寮で、浮かれずに勉強している一高生の「意気高し」と解釈するのが正しいと主張しています。よくよく読めば、確かにもっともに思えます。

断酒者も、一高生を見習うぞ!

この解釈では、一高生(東大生)たちは酒飲んで浮かれてないんですよ。飲んでいる下々を見下しているんです。ムカつきますねー。昔の学制では、旧制高校入学は今の大学入学よりも、確か一歳若いんですよ。にも関わらず、です(笑)。

実はこの歌の正式名称は「第十二回紀念祭東寮寮歌」であって「嗚呼玉杯に花うけて」は通称なのですね。井沢新説の前では、これも納得できます。だって「嗚呼玉杯に花うけて」の主語は一般大衆なんだから、それが一高の寮歌のタイトルだとおかしなことになっちゃう……。が、一高を目指す少年を主人公とした「嗚呼玉杯に花うけて」という小説もあるくらいです。この小説を書いた佐藤紅緑も含めて、長らく騙されていたということでしょう。

しかしムカつくけれども、この解釈というか真実は、私たち断酒者には都合よく耳に響きます。我々だって飲んでいないのだから、上から見下す一高生と同じなのだと(笑)。

そうそう。飲んで酔っ払ってるヤツなんて、下々だと思って見下してやればいいんですよ。そうすれば、その優越感が、断酒の大きな推進力になってくれるってもんです。はははは……。

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