酒やめて、1114日。
今回は尾籠な話で恐縮です。
今、ともに断酒をがんばっている断酒友(ブログ)でかつての飲み友は、とにかくいつもお腹がすっきりしていないと気がすまないタチで、一緒にいてもやたらトイレを探すという体たらくでした。そしてそれを私はいつも「便意の奴隷」と揶揄ってました。
生活すべてが便意様に支配されていた!?
ただ、私も飲酒時代、彼とは若干違う意味で便意の奴隷だったと思います。
飲酒時代は、とにかく唐突にお腹が痛くなり、それを自分でマネジメントしなければならないといった状況でした。これに仕事が絡むと、ほんとにめんどくさいんですよ。
たとえば朝は、早めに起きてスッキリしてからでないと仕事に出かけることができない。いつ襲ってくるか分からないですからね。保険をかけておくわけです。これで早めの起床時間厳守というタスクを負うことになります。二日酔いなのに!
それでも仕事中にいきなり襲ってきて、仕事先でトイレを借りることも度々でした。これが不思議なことに、ある特定の仕事先でそういうことになるのです。だから向こうの人は変なヤツだと思っていたでしょうね。あるいは仕事にも影響を与えていたかもしれません。そういうことがよくあるわけです。
満員電車に乗るのも命がけでした。いつ来るかわからないのですから。下痢止め薬ストッパのコマーシャルにサバンナの高橋さんが出ています(参照・youtube)が、まさにあんな感じでした。腹痛&脂汗なのです。そこで粗相してしまうと社会人として終わってしまいますので、笑いごとでなくかなり必死でした。
ストッパといえば、もちろん持っていましたけど、愛用しすぎてだんだん効かなくなる、というか、これにすべて任せるのはリスク含みだとは感じていました。あくまでもお守りです。
で、ですね、このような状況というのは行動の自由を著しく制限するんですよ。とにかくトイレマネジメントが大変で、どこにトイレがあるか調べるところから、一日の行動を組み立てていくのです。まさに便意の奴隷です。
断酒して、晴れて奴隷解放。自由民に!
よく酒飲みに便秘なしと言われ、それは酒飲みが自己弁護のためにいい意味で使ったりするのですが、行き過ぎると昔の私のようになります。まあそりゃそうですよね。あれだけ毎日大量に水分を摂っていれば、嫌でもそうなります。もちろんアルコールが消化器官に与える悪影響も半端なかったのでしょう。
で、例によって例のごとく断酒してからというもの、この奴隷状態からまったく解放されました。古代ローマで、奴隷が自由民に昇格したようなものです。朝トイレに行かずに外に出ても全然平気です。日中軽い便意を覚えることもありますが、普通に我慢できて忘れてしまいます(ちなみに冒頭の断酒友は、そのような場合でも出さないと気がすまないので「奴隷」なのです)。つまり、便意にとらわれず自由に生活できるようになったのです。
このブログでもさんざん書いてきていて今さら恐縮なのですが、断酒は生活、もっと言えば人生を自由にします。断酒すれば、単に下痢症が治るだけでなく、それにまつわるもろもろの煩雑さから解放されます。ガンマGTPの数値が改善されて健康診断に引っかからなくなる、という問題じゃないのです。
世の中には、たとえば糖尿病で透析を余儀なくされている人がいます。疾患によって自由を奪われているのですね。それに比べれば断酒するだけで自由になれるなんて、とやはり思いますよ。