酒やめるとは、要は大雑把な人間になることだったんだ!

酒やめて、2959日

Sketchy

自分に求めるものが高いからアル中になるのだ(独善)

私がX上で勝手に断酒仲間認定させていただいている「ゆりひ」さんがこんなポストをしていました。

いや、これねーほんとによくわかりますよ。断酒erにとっての永遠のテーマと言ってもいいのではないでしょうか。

私にしたところで、以前も書きましたけれども、同窓会など仲間内の会合などで自然に酒から離れられた人間と遭遇するわけです。そして彼ら彼女らを、異星人を見るような目で見ることになります。では、私のように大量飲酒からアル中になって強引に酒をやめなければならなくなった人間と、自然に酒をやめられた人間とはどこが違うのでしょうか。

これはですね、はっきり言えます、といっても、またぞろ断酒er独善理論なのですが(断酒ブログなのでよかろーもんということでw)。

それはアル中になる人間は、神経が繊細なのです( -`д-´)キリッ

この辺りのことは、中島らも先生の『今夜、すべてのバーで』の全体を貫くテーマの一つだと思いますし、様々なシーンに活写されています。

むろん、らも先生ご自身も繊細だからアル中になったのでしょう。太宰も安吾もそうですし、あと、私の好きな宮脇順三先生にしても、晩年はアル中状態だったといいます。宮脇俊三本人が、加齢によって衰えた宮脇俊三の実力を許せなくなり、自分の設定したラインと現状を酒で埋めようとしていた――。宮脇先生のお嬢様である宮脇灯子さんがお書きになられた『父・宮脇俊三への旅』を読んで私が勝手に感じたことですが、そんなに間違ってはないと思います。酒によって創作的なインスピレーションが得られるとは『今夜、すべてのバーで』でも指摘されていますし。

まあそんな先生方と私などを一緒にしてはいかんのですが、ただ、根っこは一緒だと勝手に考えておりますよ。自分に求めるものが高いからアル中になるのです。

「大雑把」だとラク~なことは確かなのだった

とまあ、エラソーなことを書きましたが、ではそういう人間が酒をやめるとはどういうことかというと、繊細な感性を持つ人間から、普通の人間、もっと言えば大雑把な人間になることだとやはり勝手に考えております。

酒をやめると「諦観」ベース「楽観」ベースで生きることができる……という言い方もまたエラソーなのであって、要は大雑把になるということです。そして人のことも気にしなくなります。そりゃ「お前はもう飲めないけれど、俺は飲める( ー`дー´)キリッ」と言われればむかつきもしますけれども、それもブログのネタにできるってなもんであります。

大雑把な人間になることがいいことなのか悪いことなのかわかりませんが、人生ラク~になることは確かですね。

むろん、繊細な感性(?)を維持したまま酒も飲まないというのが、もしかしたら最上なのかもしれませんけれども、それは中島らも先生や宮脇俊三先生レベルの人に適用されることであって、一般人はそんなことは関係ない。繊細な神経を持っていてもいいことなんかなーんもないのが普通ですし、それで飲んでしまったら、飲んだだけソンという結論にあいなりますね。

原則として火曜日と金曜日の19時に更新しています。

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