断酒によって生まれる「自分は特別じゃない」という処世術。

酒やめて、2668日

神秘的なほど共通する飲酒者の「自分だけは」

ちょっと前に世間を騒がした新宿タワマン殺人事件ですが、私の愛読している先っちょマンブログさんが加害者の男の心理について詳細な分析をしていました(参照「先っちょマンブログ『自己分析の重要性』」)。

一方で私も「飲酒。この特殊な消費」「「飲酒は特殊な消費」には、その先がありまして」といったことを書かせていただいております。自分が特別だと思い込むことの危険性について、です。

しかし飲酒習慣があるとこの「自分だけは」心理が増大してくることはよく知られており、小田嶋隆さんも、この現象について「神秘的なほど共通している」としています。

すなわち、自分だけは飲酒を続けられる、自分だけはアル中にならないという「自分は特別」というものですね。こうした自己肯定バイアスは、むろん人間が本能的に持っているものでしょうが、ここにアルコールという存在が介在するとさらに増大し、その厄介さに輪をかけます。

どういうことかというと、「自分だけは特別」の心理が仕事など他のことにも影響及ぼし生き方全般が傲慢になる。それが酒さんの人格魔改造の恐ろしさだということもまた度々書かせていただいております。

「お前と違って」が「自分だけ」を助長する!?

まあ実際ねー、この「自分だけは特別」の人は、私の周囲にも多くはないけどそこそこいます。なぜそこそこいるかといえば、一つには「自分だけは特別」に続いて「お前と違って」というワードが入り、その「お前」であるところの私が近くにいるからでしょう。すなわちお前は駄目だったけど俺は大丈夫の理論です。

でも、俺だけは大丈夫な人なんて絶対にいない、それは「弾はみんな俺をよける」という映画の主人公理論(?)に等しいこともまたよく知られています。なのに繰り返しますが、神秘的なほど「俺だけ」になるのが飲酒者というところの者でありましょう。

さて、冒頭の事件ですが先っちょマンさんも書いておられるように、世の中にはいろいろぽっかり陥穽が開いています。別にガールズバー通いといった遊びに限らず、投資にしてもセミナーにしても、そうですよね。たとえば自己出版ビジネスにしても、これはwin winの側面もあると思いますけれども、やっぱり自分の人生だけは特別という心理につけ込んだものだと言えるでしょう。

とまあそういうことで、今の時代、「自分だけは特別」で生きていくと非常にリスクが高く、それを助長するのが酒という構造になっています。

そして断酒すれば、これも神秘的なほどに、その「自分だけ」が消えますので、その分、生き方を客観視でき、したがって陥穽に陥るリスクも減る。これもまた断酒の構造であり効用であるのではないかと勝手に考えている次第です。

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