飲酒。この特殊な消費。

酒やめて、2650日

経済的にカツカツなのに飲んでしまう

ちょっと前に「飲酒しつつ「生きていくのに精一杯」の矛盾」といった話を書かせていただきました。飲酒による消費•浪費は単に酒代だけでなく非常に多岐にわたり、「生きるだけで精一杯」といったような状況と飲酒行為は両立しないのにもかかわらず、飲んでしまう実例を挙げました。

これって考えてみれば非常に特殊な消費行動です。通常の消費であれば、お金がなければその消費行動、たとえばモノを買うなどはしないのに飲酒はそうではないのですよね。今さらですが。

むろん私の飲酒時代もそうであり、経済的にカツカツなのに飲み、またカツカツのくせして生活や人生がパリピ指向になるものだからさらにカツカツに追い込まれていくという悲劇(?)がありました。

しかし、それでも飲む。飲酒は最優先の消費であり固定費にもなる。まさにカイジの地下労働時のビールと同じであります。

そしてこうしたことを突き詰めていくと、「人生が辛ければ辛いほど美味くなるストロングゼロ」にもたどり着くと思われます。

ストロングゼロといえば、下のイラストもまた有名ですよね。将来が不安ならストロングゼロを飲もうというわけです。カリカチュアライズされていますが真実でもあります。このあたりのことも、酒という存在、飲酒という消費行動の特殊性を表わしていると思います。

通常、将来が不安であれば、飲まずに不安解消のための準備をしようという行動に出るところが、不安を打ち消すために飲む。その不安の素になる現実のヤバさは、飲酒によってさらに拡張されます。

「酒は特殊」が近年徐々に認識されているようですが……

いつも書いていて恐縮ですが、こうした「構造」になるのは、酒さんというところの者が、自らをさらに飲んでもらうためにそのように仕向けているのです。自分が拡大した不安をネタに、不安やろ〜わしがおるで〜と囁きかけてくる。脳にとりつくトキソプラズマと同じです(参考「アルコールとトキソプラズマの「支配」は同じだという件」)。酒さんは意思を持ってる……どころか戦略家ですよ。

とまあ理屈っぽいことを書き連ねてきましたが、すべての消費行動の中で飲酒というものは際立って特殊だということを言いたいのであります。しつこいようですが。

最近、酒を悪質な薬物として認識しようということが一部の良心的な医学者などから提唱されています。嗜好品ましてや飲料ではなく、ですね。

同じように、飲酒は消費行動としても特殊だということは、もっと認識されてもいいと思いますね。余計なお世話ながら。また逆に、それが特殊だと考えることが断酒モチベーションになります。

いやほんと、人類の歴史の中での生活に溶け込んでいて、なんとなく必要不可欠だと思われていた酒の特殊性というものが近年次々とベールを剥がされているようで、ストロングゼロの存在もそれに手を貸しているのでしょう。ある意味、皮肉な現象ではあります。

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