これだけ「癒し」がたくさんある世の中で、何も酒に癒しを求めなくてもいいんじゃないという話。

酒やめて、2562日

昭和は「あー忙しく働いたー疲れたーじゃあ酒でも飲もうか」だった

一昨日、「酒やめて、「がんばらない仕組みづくり」ができたようにも思います」というエントリの中で、断酒を続けるために忙しくしないという珍理論(?)を展開させていただきました。これって、いわゆる昭和的生き方の逆です。

昭和のお父さんは、むろん私もそうでしたけど、あー忙しく働いたー疲れたーじゃあ酒でも飲もうかという生活を送っていました。脳の疲れを癒すための酒だったのです。

酒には、このようなダウン機能と、さらにはアップ機能があります。アップ機能については覚醒機能と言ってもいいかもしれません。

実はこれらダウン&アップは悪しき因縁で結ばれており、忙しく働いたー酒で癒してもらおう、で酒にダウン機能を求めるのですが、そこ「から~の」があるから厄介です。つまり、そのような飲み方をして酒量が増えると、酒がないと何をするにも気力がなくなり、酒にアップ機能を求めたりもします。

「仕事終わったーいっぱい飲まなきゃやってられねー」が、「いっぱい飲まなきゃやってられねー」人生になってしまうのです。

これは、よく対比される「ビール街」的な飲み方から「ジン横丁」的な飲み方への移行というふうにも言えると思います(参考「ストロングゼロが亡国の飲み物であるというこれだけの理由」)。いや、「移行」というよりも、むしろこの二つがめでたく「共存」するのが一般的な大量飲酒者のパターンではないでしょうか。少なくとも私はそうでした。

もはや酒さんは、ワン・オブ・ゼムなのですよ

ともあれ、飲酒にはこのような二つの側面がある、と。そのうち酒のダウン機能、すなわち「癒し」について着目してみれば、もう酒でなくててもいいんじゃねーになっているのが、昨今の世の中というところのものであります。

今では様々な脳の休め方が研究されていますし、興奮した脳を収める方法も広く知られています。「心の整え方」だったり「アンガーコントロール」もその範疇に入るのかもしれません。ともかく様々な方法がある、と。

逆に言えば、飲酒はその中の一つに過ぎなくなっている。昔は酒しかなく、だからこそ、酒は人類の歴史とともにあったとも言えますが、今は「癒し」メソッドのなかで、まさにワン・オブ・ゼムに成り下がり、そしてゼムのなかでもっとも弊害の多い「ワン」と定義できます。まさに「酒の地位低下」です。「没落」と言ってもいいかもしれません。

にもかかわらず、酒が癒しの絶対王者だと思うのはやっぱり昭和的前時代的な考え方ですよね。いろんな選択肢のなかから選べばいいし、それほど酒を神聖視しなくてもいいのでは、とも思います。

そして、このような現在の状況って、断酒しようとする場合、めちゃ恵まれているということにもなりますよね。当然ながら。

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