【医療構造上無理ゲー】齢取ってからも飲み続けた場合どうなるかと考えると、そら恐ろしくなりますよ。

酒やめて、2564日

impossible

医療の「構造」に対して不信感があるのだ

一昨日、「これだけ「癒し」がたくさんある世の中で、何も酒に癒しを求めなくてもいいんじゃないという話」といった話を書かせていただきました。でもって続きというよりも実は「本編(?)」がございまして、それを以下、記させていただきます。医療と飲酒の関連問題ですね。

我々はコロナ禍を通じて、あるいは個人的には父の入院や介護などを通じて、医療というものに対する不信感を持ってしまった……。いや、現場の医療関係者は本当によくやってくれていると思います。上からな言い方で申し訳ありませんが。そうした現場の「目の前の患者を救う」という本能のようなものを、上手いこと利用しているのが現代の医療の仕組みのような気がしてしまうのですよ。

昨日書いたことの続きになりますが、人類は「癒し」というものを飲酒に求めてきた、と。実はこれは、医者とて例外ではないでしょう。

お医者さんにはわりと飲酒者が多いですよね。それはむろん、激務ということも関係しているし、大変なプレッシャーゆえに飲みたくなるということもあるんじゃないかと推測します。飲まなきゃやってられない職業の一つではありますよね。ですから私が酒を飲んでないと言うと、飲まないのって怪訝そうな顔をする医師もいるにはいます。

でねー、このあたりにいろいろ齟齬があるのですよ。

大量飲酒者は医療において「別枠」になる!?

たとえば、お医者さんの書いた長寿に関する本で必ず出てくるのは「飲酒はほどほどに」です。出ました、この「ほどほどに」のラスボス感半端ないです(参考「「適度な飲酒」←こいつのラスボス感が半端ないという話」)。

元アル中にいわせてもらえば、あまりにも簡単に「ほどほど」という言葉を使ってくれちゃいます。

このベースには、やはりご自身が酒でストレス解放されていることがあるでしょう。

しかし、医学知識もあり、むろん一般的な意味での賢さも備えていて、さらにはいつ呼び出されるかわからないという使命感がある医師と、一般人を同列には並べられないのですよ。

医者が「ほどほど」と言ったら、それは一般人にとっては「いくら飲んでもいい」なのです。

ともあれ、そのように酒に対して甘い……というと変ですけれども、一定の理解が現場としてはある(むろん一滴でもNGという医療関係者も多くなっていますが)。

そうしたところに持ってきて、疾患にアルコールが絡んでいる場合、内科外科などの診療科ではそれは専門外となり、精神科へ行ってくださいというスタンスが基本です。

つまりアル中あるいは大量飲酒者が何か他の病気にかかった時にトータルでケアするという体制にはなっていない(そういう体制をつくろうとしたら莫大なコストがかかるでしょうしね)。なので、一般的な診療科では切り捨てられた民になりがちなのです。医療でそうなのだから介護だったらもっとです。

こうしたことが何を意味をするのかというと、齢取っても大量飲酒習慣があり、その飲酒と認知症が結びついている場合(当然、結びつきますが)、医療や介護の網からもれ、最終的には精神病院で老後を過ごすということになります。

「目の前の命を救う」という究極の使命を持つ医療現場は不法入国者には優しいけれども(医療関係者が政治に踏み込むのはご法度という「仕組み」)、長年、社会保険料の多大な負担をしてきた日本人のアル中やアル依には優しくありません。繰り返しますが、そういう場合は専門医へどうぞ、です。

で、親をそのようにしたくなければ何が何でも酒をやめさせるという処置は必要かもしれませんし、それはむろん自分自身にも当てはまり、私の場合、それもまた断酒モチベーションになっているのであります。

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