酒やめて、2522日
「オンリーツーエビデンス」ながら見えてきたもの
またぞろ「酒飲んでるとそれが自分のアイデンティティになってしまうから怖いよね」話で恐縮ですが、年の最後にどうしてもこれだけは言っておきたいので、「断酒が難しいのはそれまでの人生を否定することになるから。なのだろうか?」の続きのようなかたちで書かせていただきます。例によって誰にも頼まれていませんけれども。
個人的には、今年はコロナ明けということもあり、プチ同窓会というか学生時代の仲間での集まりが多い年ではありました。そういう年齢でもあり、私を含めて暇な人間は暇になっていますから(苦笑)。
そのようななか、昔の同級生で、日本を代表する企業の役員になっている人間が、見栄とプライドを捨てなきゃやってられないといった話をしているのが非常に印象的でした。
一方で私が所属している業界では、年中「俺は〇〇だ」と言って、その〇〇であることにやたらこだわってる人間もいます。プライドだけで生きているという感じです。いや、それはどうぞご勝手になのですが、それを他者に押し付けてくるから、このようにブログにも書かれてしまうわけで。そしてもっと書けば、そういう人はなんというか困窮しています。つまり、年齢や置かれた状況と「俺は〇〇だ」がマッチしていないのです。
で、この2種類の人間を対比させると、いろいろ興味深いものが見えてきます。
断酒erは「諦める」ことが得意!?
日本を代表する企業の役員になることが成功だとするのであれば、その必要条件として「見栄とプライドを捨てる」がある、ということは一応言えると思います。
今は、見栄とプライドから自由にならなければ、社会的に上手くやっていけないというかコトを成すことができないのですよ。一方で「俺は〇〇だ」に固執すると、その逆になる、と。オンリーツーエビデンスではありますが対比が鮮やかです。
そのように論を進めると、見栄とプライドを捨てることは「俺は〇〇だ」の〇〇から自由になるということですよね。
何が言いたいかというと、毎度毎度の断酒er理屈で申し訳ないのですが、断酒erはそれがやりやすいということです。
なぜならば一昨日も書きましたが、自分が最も固執していた酒というものからもはや自由になっているからです。なので、他のものから自由になるなんて簡単な所業です。
いや、自由になるという言い方はかっこつけすぎですね。
もっと適切な言葉があります。それは「諦める」です。
酒というものを諦めたんだから、他のものを諦めるなんてのはもう簡単中の簡単であり、それが成功……というと語弊があるかもしれませんが、何かコトを成すための秘訣なのかもしれません。少なくとも、その可能性は拡げてくれるはずです。
とまあ、いつもながらの断酒er独善(?)理屈を書かせていただいたところで、今年のブログを終わりたいと思います。皆様、どうぞ良いお年を。
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