「断酒は正しい」は自己正当化なのか、それとも絶対的真実なのか。

酒やめて、1530日。

キャリア携帯、代理店型保険、FSCを選択する人

自己正当化バイアスというものがあって、認知バイアスの一種だそうですが、客観的に見ればそれは間違っている選択かもしれなくても、自分の判断を「正しい」と思い込もうとすることです。

この「客観的に見れば」ということからして余計なお世話なのですが、それを重々承知の上で論(?)を進めたく、たとえば家計改善のための切り札と横山光昭先生なども常々言及している携帯と保険について考えてみます。

私の周りにもいますよ。携帯は格安SIMではなくキャリアでないと! 保険は通販型ではなく代理店型でないと! という人が。ついでに言えば、飛行機も私などが愛用しているLCCではなく、いわゆるフルサービスキャリア(FSC)様を利用しているそうです。

まあ、お金があるんでしょうね。ですから当然と言えば当然です。そしてその理由を、電波ガー、とか、いざという時ガーとか、欠航のときの振替ガー、というふうにしています。

最後の一つについては確かにLCCのコロナ欠航は酷すぎるものがありましたが、JALやANAもたいがいでしたよね。

で、やっぱりこういうのも自己正当化バイアスてやつなのかなあと思ったりもします。だいたい電波なんて、格安SIMは大手キャリアのインフラを利用しているんだから基本的には変わらないのに(たぶん)、かたくなにそういうふうに理由づけて高いお金を払っているわけです。

なぜそうするかというと、過去の自分に照らして、ですよね。自分が今までそれを選択してきたのが間違いであると認めたくない。そういう自己正当化が働くのだと思います。かえすがえすも余計なお世話ながら。

唐突ですが、日本が太平洋戦争で破滅したのも、過去の自分の判断を正しいとしたいがゆえに落としどころを見つけられず、どこまでも突き進んでしまった結果なのでしょう。集団正当化バイアスは空恐ろしいものがあります。

では断酒は、絶対的に正しいことなのか

さて、そこで断酒です。私は断酒したのが「正しい」と思っております。だから考えようによっては、このブログは自己正当化のために書いているみたいなもんです。

断酒者には断酒者なりの正当化があります。飲酒をしている人にも当然のことながら正当化があります。ただ自分自身の経験で言えば、アル中や大量飲酒者の自己正当化は飲みたいが故のもので、それを指摘されることを嫌がり、やがて「自分が正しい」がすべてにわたり、人格を毀損してしまうところが非常にヤバいのではないか、とは、いつも書いているところです。

ともあれ、なぜ、こんな問いを立てるかというと個人的事情があります。私の母が昨年の年初に他界して父が一人になったのですね。そこで妹からは「お兄ちゃん、たまにはパパと一緒に飲んであげてよ」と言われます。もちろんこれまでもノンアルコールビールなどで付き合ってきたのですが、そうじゃなくて一緒にお酒を飲んで欲しいというのが彼女の希望だったりします。

でも私の場合、一度でも飲んでしまったらアル中に逆戻りするのは分かりきっているので飲みません。ただ、そうしたことがあったので、このようなブログを書いているのは自己正当化なのか、それとも断酒は絶対的に「正しい」ことなのか、というテーマ(?)に行き当たったわけですよ。

その上で言うのですが、断酒して良いことと悪いことを天秤にかけてどっちに傾くかというと、もうこれはどう考えても良いほうに傾きます。その逆の天秤に「パパと一緒にたまには飲んであげて」があったとしても、です。それは私にとっては重すぎるほど重いのですけれども、ただそれでも飲まない方がもっと重いということです。

と、私事を長々と書き連ねてきましたが、こうした葛藤がありつつも続けられるのは、断酒(という選択)は自己正当化ではなく、絶対的な善であると信じるからであります。

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