断酒者は最悪を知っているから、なおさら楽観ベースで生きられるのだという話。

酒やめて、1644日。

酒飲んでいると、ピンチに弱い!?

一昨日、「酒飲まないと、楽観的な心持ちになれるのはなぜか?」という記事を書かせていただきました。言い足りない部分もあるので、続編というわけではないのですが、さらなる理論展開(?)をしたいと思います。

前回も触れましたが、酒を大量に飲む習慣があると、飲んでいる時はもちろん飲んでない時でも感情過多になりますので、それが悪い方に振れるとデスペレイトな気持ちが深まっていきます。ですからコロナ禍のようなピンチに弱くなってしまうのです。

そして酒をやめると、そうした感情が取り除かれ脳が正常に戻るので必要以上に悲観的になることはありませんし、人生にきちんと向かい合える、正しい判断ができる……というといかにも綺麗ごとですが、こんな紋切型な言い方しかできないのが悔しいです。でも、そういった感じは確実に生まれてきます。

と、ここまでがまあ一般論に属することなのではないかと思います。断酒者独自(?)理論はこの先であります。

現状を過去と比べると、未来に対する指針が生まれる!

以前、「コロナを契機に人類の二極化はますます加速する。そして断酒者はさらにその上を行く!?」でも書きましたが、アル中あるいはアルコール依存症→断酒者の場合ですね、大いなる特権として「最悪を知っている」ことが挙げられるのではないでしょうか。

大量飲酒習慣があると、いろいろやらかしますよね。アル中→断酒大先輩のまんきつさんなどの場合、講演の途中でおっぱいポロリ(わざと)しちゃったらしいですけれども、そういう即物的なまだヤラカシはまだタチがよい(?)のです。ヤバいのは、とにかく酒を大量に飲んでいると時間もない金もないエネルギーもないので、そうした状況が少しずつ人生を削っていき、どうにもならない感が増大していくことです。そしてそんなどうにもならない人生の底の部分でのたくって生きているという感じです。

ただ実は、その時は、そんなに最悪だと思ってないんですよ、これがまた。俺は酒飲んで幸せだあああ俺の人生これでいいいいいとイキっています。なにしろ自己正当化がアル中の習い性ですからね。

しかしいざ酒をやめてみると、なんと馬鹿な人生だったのだろうということがだんだん明らかになってくる。そして周りの人に多大な迷惑をかけてきたこともわかってきます。そんなことは認めたくはないけれども、ただ「認めたくない」は酒飲みの心理そのものであって、今、断酒しているので認めることができます。

で、認めた上で客観的にあの頃を振り返ると、とにかくそれが最悪だっただけに、あれに比べれば今、コロナ禍で仕事がないくらいと、感じてしまうのですね。そして一昨日も書いたように時間が有り余り、その時間でやったことのほんの微少な成功体験が積み重なって自信となっていますので、やばいなと思いつつその頭でじゃあどうすればいいかを考え始めることになります。

とまあ、そんなかっこいいものじゃないんですけれども、とにかく最悪を知っているのは断酒者の大いなる特権だと思いますね。繰り返しますが。今の自分の状態をその最悪と比べることで大丈夫やんと常に自分に言い聞かせ、その大丈夫が新しい指針をもたらしてくれることを実感している断酒者なのでありますよ。

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