酒やめて、1414日。
やる気が出ないときに酒が欲しくなるという陥穽
一昨日、弛緩するときに酒が必要なのだという話をさせていただきました(参考「人生における弛緩と緊張の量は同じ。緊張を解くために酒が必要なら、緊張の量を減らせば良いのだという話」)。たいていの人は弛緩――リラックスと言い換えてもいいかもしれませんが、そのために酒を飲みます。そしてこれは、まあ許容範囲です。やばいのは、そうじゃなくて、世の中に立ち向かう勇気を得るために酒を飲むことですね(参考「酒飲みたい要求はときどき湧き上がるけど、ただ「このケース」だけは飲まなくて済むようになった! それだけでも断酒してよかった、なのです」)。
なんとなくやる気が出ない→酒を飲む→やる気が出たように感じ、それが「成功体験」になる→やる気が出ないたびに酒を飲む→めでたくアル中になるというパターンです。まさに私の場合もそうでした。したがって身勝手なことを言わせていただければ、真面目な人ほどアル中になりやすいという側面も確かにあります(参考「物事に真面目に対処しようとすればするほど、酒にとらえられてしまう罠」)。
また、これもいつも書いていて恐縮ですが、酒ってやつは、飲酒を重ねる人間を、酒なしではやる気が出ないように仕向け、自分の必要度を高めていくんですよ。本当に、意志を持っているように。そして真面目な人ほどその陥穽に陥りやすいということですね。
で、このやる気というやつが問題でして、ご存じの通り、世の中にはやる気を出させるためのサプリが溢れかえっていますよね。効用のほどは存じ上げませんけれども、これだけ溢れかえっているということは、この問題で悩んでる人も多いということでしょう。
やる気が出ないという大問題の要因の一つは、当然ながら加齢です。先日、東洋経済オンラインにこのような記事が出ていました(参照「やる気が出ない人が疑うべき「ある病気」の正体」)。これによれば、やる気が起きないのは認知症グレーゾーンの兆候らしいです。怖いです。
そしてその認知症グレーゾーンにおいて、なんとなくやる気が出ないからといって飲酒を重ねると、本当の認知症への特急券を手にしてしまうのは自明です。加齢によるやる気の喪失を酒によって奮い立たせるのは、自らを壊していく行為なのでしょう。危ない危ない。
アル中→断酒者は、ある種、超能力を身に付けられる!
で、個人的なことを言えば、酒をやめてからしばらくしてからというもの、驚くべきことに、やる気が出ないということがなくなったのです。
もちろん、たとえば仕事やりたくないなあみたいな時はありますよ。でもやる気がなくてどうしようもない、脳が、何か͡͡コトを起こすのを頑として拒否してるみたいな、飲酒時代に感じていた状況がなくなったのです。
これはもちろん個人的なオンリーワンエビデンスに過ぎず、以下書くことにしても医学的根拠もなにもない仮説に過ぎません。でも案外、そういうことなのかなと自分では勝手に思っています。
つまりですね、アル中→断酒者というのは、酒をやめると、やる気を醸してくれる脳内物質、たぶんドーパミンだと思いますが、その生成法を失うわけです。そうすると脳というものは不思議なもので、なんとか生成方法の代わりを見つけようとします。そしてちょっとしたことでも、やる気物質をつくってくれるようになるのです。そういうふうにだんだん脳が変わっていくと思われます。
そのように脳を変えることができた、というのは、もしかしたらアル中→断酒というプロセスを経たがゆえなのかもしれません。いや、よくわかりませんが、少なくとも私の場合、そうした実感はあります。そしてそれを自分に言い聞かすために、さらにその思いを強くするために、このブログを書いているという構造です。
で、考えてみると、これはずいぶんお得な話ですよ。アル中→断酒者だけが獲得しえた形質――スーパーパワーなのかもしれません。
とまあ謎理論かもしれませんが、そう思いこむのも、断酒モチベーションの一つ足りえますし、何度もすみませんが、これは実感なのです。