あの「急ぎの虫」は、いったいどこに行ってしまったのか。

酒やめて、1380日。

伊丹十三が提唱・分析した「急ぎの虫」とは

たまにですが比較的長い距離を運転することがあります。そうすると、二車線の一般道の場合、右に左に車線を変えて少しでも前に出ようとする車がいるんですね。そんなに策を弄したって所要時間はたいして変わらんよほーらもう赤信号でつかまっとるじゃないか、などと他人事のように思ってしまいますが、昔の私も、確かにそういうタイプの運転者でした。

なぜ、先に行きたがるのか。一つは、これは本能的なものかもしれません。伊丹十三著『女たちよ!』に「急ぎの虫」という項があって、たいそうおもしろいのですが、それには次のようにあります。

ためしになんの目的もなしに、ぶらりと車を走らせてごらん。なんの目的があるわけでもないのに、走り出したとたん、諸君が、もう夢中で追い越したり、赤信号に変わる寸前のオレンジの信号を懸命に突っ切ったりするのが、私には目に見えておる。

さすが、慧眼というべきですねー。

でも酒をやめてしばらく経つと脳の性格が変わってきたのでしょうか、車を運転していても急ぐということがまったくなくなりました。これは、多くの断酒者も証言しているところですね。おだやか~な気持ちで運転できる、「急ぎの虫」を封印できるのです。

また、論理的に(?)考えると、以下のようになるのではないかと。

つまり「急ぐ」というのは、早く目的地に到着して何かやりたいわけですよ。そのための時間を捻出したいのです。だから車線変更を繰り返したりもする。飲酒時代の私の場合、一刻も早く飲みたいがために急ぐみたいなケースもありました。もちろん、仕事のために急いでる人もいるでしょう。

酒やめると、そもそも急ぐ必要がない!

でも、ですね、酒をやめると大量に時間が余ります。なので、仕事でも私用でもそれほど急ぐ必要がなくなるのですね。なんというか人生の余裕時間みたいなものを、いつも多めにとっておけるようになる。酒を飲まずに余った時間をそうしたスペアの時間に割り振る、といったような生き方が可能になったと思います。大げさに言えば、ですけれども。

したがって、車を運転してても急ぐ必要はないのです。どうせ酒飲めないんだから、別に急いで酒飲む時間を捻出しなくてもいいというある種の諦観もあります(苦笑)。

だから何かいいことあるかといえばそれほどでもないのですが、もちろん事故るリスクなどは大幅に減るでしょう。

逆に言えば、酒を飲んでいると、いつも書いてるように時間がマッハのように飛んでいってしまいます。事故リスクを犯してまで必死で捻出した時間を一瞬にしてつぶしてしまうのが酒だとも言えそうです。

先の伊丹十三のエッセイにはこんな一節もあります。

と、こちらがとまったとたんに、今まで追い越してきた、黒い乗用車、赤いスポーツ・カー、黄色のライト・ヴァン、灰色のトラックが、ごうごうとかたわらを通り抜けてゆく。いまや、すべての努力は瓦解した! 水泡に帰した!

飲酒習慣もこれと似たようなもんですよ。素面のときにどんなにがんばっても、まさに「すべての努力が瓦解」してしまうのですねー。

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