酒やめて、2648日
「ストレス解消」という善意の石畳
ちょっと前に「飲酒しつつ「生きていくのに精一杯」の矛盾」というエントリの中で、仕事上の先輩から、酒飲まないでどうやってストレスを解消しているのかと訊かれたというエピソード(?)を書きました。
いやこれねー、その先輩の気持ちもわかるんですよ。というのは、我々人類……と言っても過言ではないと思いますけれども、人類はそれこそ有史以来、「酒でストレス解消」を刷り込まれてきたからです。
私も飲酒時代、ストレスを感じるたびに酒を飲んでいましたし、それを何の疑問にも思っていませんでした。繰り返しますが「酒でストレス解消」は常識として長い間、人間社会に横たわっていたのですね。
このことを逆から捉えると、ストレスを感じたら飲んでもええよ、ということになります。そして飲酒習慣が深まると、感じてもないストレスをでっちあげて飲むようになります。これはある種、「地獄への道は善意の石畳が敷き詰められている」というやつですね。「ストレス解消」がまさに善意の石畳です。
でも現実問題としては、酒はストレスを呼び込みます。なぜならストレスの二大要因、すなわち経済的なことおよび人間関係と飲酒は密接につながっているからです。
淡々と坦々と人間関係を構築できる
経済的なことについては言うまでもないです。先に挙げたエントリーでも書かせていただきましたが、単に酒代がかかるというだけではなく、私が考えるに5つの局面で貧困を呼び込みます。
むろん経済的に何の問題もないよという人もいるでしょうし、そういう人は飲んでもいいのかもしれませんが、ただし、人間関係のストレスから逃げることができないと思われます。
酒でつながった人間関係は、良かれ悪しかれ感情の起伏が激しくなります。実は私は今週から博多に何度か出張するのですが、その博多バージョンでいえば、(酒飲みながら)「おまえ好いとー!」←→「いっちゃん好かん!」てやつです。
とまあ、飲みながらであれば、それはそれで微笑ましいものもあるようにも思いますが(博多弁であればなおさら)、ただ、いつも書いている通り、酒さんというところの者は、エモーショナルな方向に人間の人格を魔改造します。ということは、普段の人間関係においても振り幅を大きくするわけです。そしてそれゆえに、感じなくていいことでもストレスに感じさせてしまいます。
酒をやめると、人間関係において淡々として坦々と付き合うことができる。さらに経済的な面とからんで、金(仕事)のために付き合う人間関係もなくなりますので、ますますストレスがなくなるという側面はあると思います。書いてしまうと綺麗ごとのようだけれども、これはマジ実感でもあります。
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