酒やめて、2526日
宮脇俊三先生の知られざる(?)真実
正月とて特別なこともない断酒erなので、以前ダウンロードした『父・宮脇俊三への旅』(新潮文庫)をなんとなく再読していたら、非常に象徴的な一節がありました。
原稿を書くという作業は、気力だけでなく体力も要する。年齢とともにこのふたつが衰えてきた父は、酒を飲むと元気になるのか、またはアルコールの効果で脳が活性化されるのか、とにかく筆がのり、原稿が進んだようである。
だが歳とともにアルコールに弱くなり、飲むと活性化で筆が進むどころか、その前に酔いが回って脳の働きが鈍り、飲んでも思うように書けなくなってきた。酔いが醒めてから書いたものを読みなおすとほとんどが使いものにならず、慚愧の念にとらわれ、それでまた飲むという悪循環を父は繰り返していた。
(引用前掲書・行変えなどは引用者都合)
ちなみにこの本は、紀行作家……というよりも元祖時刻表オタクであり、乗り鉄にとってまさに神のような存在だった宮脇俊三先生(2003年没)のお嬢さんである宮脇灯子さんが、お父上との思い出を綴ったものです。
宮脇灯子さんは編集者であり料理研究家でもあるようですが、こうした本の執筆を依頼されるということは、没してもなお「宮脇モノ」が欲しいというファンの切実な思いがあるわけで、その存在の大きさが分かります。このあたりはシャーロック・ホームズやビートルズと事情は似ているようにも見えます。
私も宮脇ファンの一人として、先生が晩年アル中状態のようだったことはなんとなく知っていましたが、このように描かれると今さらながらにショックを受け、また元アル中として納得できるところもあります。
加齢によって筆力が落ち思うように書けなくなって酒に走ったとのことですが、ファン視点で見ると、宮脇先生は自分に課すハードルが高すぎて、それを満たすことができない自分と折り合いをつけるために酒を飲んでいた、ということになるのでは、と思います。
この美意識が高すぎて酒を飲むというパターンは、中島らも先生もそうだったと著作などを読むと感じてしまいます。自分に対して厳しい自分を納得させられないために酒を飲んでしまう。
比べるのはどうかとは思いますが、一流アスリートは、そうであるがゆえに逆に酒を飲まないのでしょう。
真面目ゆえに酒を飲む、真面目ゆえにアル中になる
さて「自分に対して厳しい自分を納得させられないために酒を飲んでしまう」というパターンは一般人でもあると思います。センシティブだから酒を飲む、そして真面目だからアル中になる。
じゃあどうすればいいかというと、ゆるーく生きればいいんですよね。仕事についても生活についても、です。自分に対するハードルを下げてあげる。幸いにも(?)宮脇先生の仕事と違って一般人の仕事はそれほど注目されているわけでもないし。もちろん、上司や客先の評価はあるでしょうが、その評価を上げようと思うと、予想される評価の数十倍の努力が必要でコスパが悪いし酒飲みたくなります。
でもって不思議なことに、ゆるーく取り組んでも、酒を飲んでいた時代に自分で真剣にやっていたつもりの仕事よりも、むしろクオリティが高くなる(於自己評価)という側面は確かにあるのですよ。なぜかというと、自分が設定するクオリティの基準が低くなるからですねー。いーんだいーんだ、そんなもんで。とまあ、そういう精神で今年も生きていきたいと思います。
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