酒やめて、1226日。
いつも赤い顔をしていた先生がいた
中学生の頃、N先生という先生がいました。確か地理の先生だったと記憶していますが、とても良い先生で……ということは我々悪ガキにとっては怒らない先生ということになるのですが、しかも教え方はすごくわかりやすかった気がしています。ま、あんまり授業を熱心に聞いていたわけじゃないですけど。
で、結論から言えば、N先生はアル中だったのですが、当時の私には、あまりそういうふうには見えませんでした。顔は、今でもなんとなく思い出すことができます。赤ら顔で塩を吹いていたようでした。ただしじゃあ酒の匂いがしたとかそんなふうに感じたことはありませんでしたね。さすがに(笑)。
N先生は山が好きで、一度私たちをキャンプに連れて行ってくれました。たぶん独断だったと思います。今だったら問題になっていたかもしれません。その時は泊まったのですが、夜、先生が酒を飲んでいたかというとそれも記憶にはありません。もし飲んでいなかったらよく我慢したもんだと思います。
というのも、私もうちの子が小さかった頃、幼稚園児のキャンプに付き添いでついて行ったことがありますが、当然のことながら夜、酒を飲むわけにはいかず、悶々としたことを覚えているからです(笑)。
ところで先生はよく我が家の近くにまで来ていました。うちの父を飲みに誘いに来てたのですね。今考えればその時すでに酒の飲みすぎで手許不如意になっていて、生徒の親になんというかゴチになるのが習慣化していたのかもしれません。
さてそんなこんなで我々も中学を卒業し、先生のことも忘れていたのですが、今からそうですね20年ぐらい前でしょうか、同級生の一人のお父さんが亡くなった時に、久しぶりに中学の友人たちと会って酒を飲みました。その時にふとN先生の話になったのですが、なんでも学校で酒飲んでクビになったらしいよという話を聞きました。
なるほどやっぱりな、という思いはありました。
酒に厳しい世の中はますます深化する!?
考えてみれば教師って大変な仕事ですよ。40名だかの生徒を前にして話をしなきゃいけないんですよ。それを一日に何回もやるわけです。そんなテンションがよくあるもんだと思います。
飲酒した翌日のセロトニンが出てない脳で、そうしたことをやろうと考えただけでおそろしくなってしまいます(参考「酒やめて、「どうしてもやりたくないこと」がなくなった」)。
一昨日も書きましたが、アル中になるのは、物事に真面目に対処しようと思えば思うほど酒を飲んでしまいその結果、という側面がありますので、たぶんN先生も、性格的にそのクチだったのではないかなあと思ってしまうのです。きっとテンションがあがらず、それでも真面目に生徒たちに教えたくて、学校で、こっそり酒を飲んでしまったのかなと。
緊張をほぐすための酒もそうですけど、こういうのって一度やって成功体験になると、もう習慣になってしまう。それが酒の怖いところです(参考「物事に真面目に対処しようとすればするほど、酒にとらえられてしまう罠」)。
ただし昔は、まあ教師が学校で酒飲むのはさすがにやばいですけど、普通に酒飲みながら仕事をしていた人はいましたね。私の高校時代の友人の家が、店頭で飲めるタイプの酒屋をやっていましたが、そこの前にあった公共施設の公務員はよく勤務中に飲みに来ていました。それを、薄汚い男子高校生であるところの我々は生唾を飲み込みながら見ていたという構図です(笑)。その飲酒行為は、サボって、というよりも、むしろ「気付け」の役目が大きかったのだと思います。
そう。昔はウィズコロナじゃないですけれども“ウィズアルコール”だったのですね。飲酒がほんとに普通に行われていた。そして、飲まなきゃがんばれないというシチュエーションで飲んでいた。それが成功体験になると習慣化し、アル中に進んでいったという感じですかね。
もちろん今は、そういう時代に比べればめちゃくちゃ酒に対するコンプライアンスが厳しいです。どこの組織でも仕事中に酒飲んでたら一発アウトでしょう。
今、コンプライアンスに関していえば、民間よりも役所の方がゆるいみたいなことは言われますが、それよりもゆるいのは芸能界でしょう。お笑い芸人のナイツが、事務所の後輩の狩野英孝について、彼がトマトジュースで焼酎を割れば(バレずに)飲めると言ってたよみたいな話をラジオでしていました(笑)。私もアル時代だったら、こりゃいいこと聞いたと思ったでしょうけど、それを聞いたのは断酒してからだったので、やっぱり芸能界はコンプライアンスがゆるいんだなあと感じました。
ともあれ、ウィズアルコールは夢のまた夢になっているのは間違いなく、今後ますます時代は酒に厳しくなりますよね。もう昔と同じ感覚では付き合えません。