酒やめて、2046日。
年金は高齢者を社会に出さないためにある!?
3才女児バス置き去りという痛ましい事件で、衝撃的だったのは運転していた園長が72歳、付き添いだった女性職員も70歳台だったということです。そしてその後の会見などで園長の老害ぶりが露呈しています。あるいは「死ぬまで働け」の社会構造が引き起こした側面もあるかもしれません。
もちろん園長の場合、貧困が理由で働いていたわけではなく、働いたほうがいいと判断し、自分で働けると考えたから働いていたのでしょう。
今は、年金制度はじめさまざまな社会制度が「死ぬまで働け」を指向し、またそれが可能となっています。むろん特定分野での極端な人手不足も背景にありますが、要は「強制引退」がないのですね。
そう、従来型の社会は引退を強いてきたとも言えます。ちきりんさんも著作に書いていますが、年金とは本来、パフォーマンスを発揮できなくなった人間に対して、これあげるから社会に出て来ないでね、という意味があったと。
ただしそれが予想を超えた高齢化と少子化でにっちもさっちもいかなくなり(そもそも、40年程度現役・10年程度受給で設計されたといいますから)、だから「死ぬまで働け」に一大方針転換しているのですが、その政策に代表される社会構造の中で、今回のような悲劇が起きたと個人的には考えてます。
ついでにいえば生活保護にしても、年金に強制引退の側面があるのと似ていて、こちらには犯罪抑止の側面があったのは間違いないところです。しかし日本国民全員が「無敵の人」になりつつある現状においては、これも制度改革待ったなしでしょう。たとえばマイナンバーで完璧に資産管理・収入管理して、一定基準を下回った人には自動的に足りない額を支給するとか、ですね。そうすれば社会全体として最適解がもたらされる、と考えるのですが。だから「マイナンバーは国家による統制だー」と「貧困問題をなんとかしろー」と同時に叫んでいるメディアは、完璧に矛盾していますよ。わかってやっているんでしょうけど。
「傲慢」と「無責任」が表裏一体の高齢者にならないために
とまあ、そんなことを私のような者が叫んだところで詮ないので話を本題に戻せば、とくに男性の場合顕著ですけれども、ある程度の社会的地位で仕事してきた人の場合、高齢になると非常に高慢になります。でも逃げる時は、自分が高齢であることを前面に打ち出します。
「まだまだ若い者には負けん」と「私はかわいそうなおじいちゃん」の変わり身が非常に早いのです。もうこれは神秘的なほどです。私の周りの人間もそうです。
なにしろ「無責任」と「傲慢」が表裏一体になっているわけで、そういう人は社会や他者に迷惑をかけやすい。だから年金があったとも言えます。
ただ今は、もう高齢者の社会悪抑止機能が失われている。今回の事件はそれを端的に示していたと私は勝手に思っております。
これを自分自身に当てはめてみれば、「死ぬまで働け」の時代においてそうした社会悪にならないためには、やはりいつまでも脳を清明しておく必要があるわけですよ。うっかりが絶対にできない立場であれば、なおさらです。
酒を飲まないのはその絶対条件ではないかもしれないけれども、一つの確実な方法ではあると思います。断酒ブログだから言うのですけれども、真実でもあります。
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