気負わずゆる~くやればいいんですよ。今年は「坦坦」「淡々」をさらに追究したいと思います。酒飲まずに。

酒やめて、1784日。

皆様あけましておめでとうございます。

まあしかし正月というのは断酒者にとっては鬼門というか、私も今年の2月で断酒まる5年ですが、年毎に「正月ウザイ」感が高まっています。年末年始なので仕方なく実家に行くと、妹夫婦とその子たちが飲んだくれているし、その喧噪の中に身を置くとなんだかいら立ってしまい(断酒は元来心の平穏をもたらすものなのに、修行が足りませんなw)とっとと帰ってきました。

私自身の娘は彼女の母親とお正月を過ごすとのことで、結局のところぼっち年末年始です。でも全然嫌じゃありませんし快適です。でもって正月明け早々白内障の手術を受けるので、できる仕事は前倒しでやっておこうと思い、雑誌に載せていただくコラムを書いたりしています。

「飲みながら書く」は美意識が高いから!?

コラムという仕事は、要は自分の主観を吐き出すものですから、実は飲酒しながらでもできます。これが誰かの話を聞いてまとめたりとか、事実やデータを示しつつ論理的に書かなければいけないといった類の文章だと、飲んでたら到底できませんけれども、主観吐き出しはわりと飲酒と親和性が高いのです。

よく言われますよね、酒飲んでものを書いていると創作の神のようなものが降りてくる、と(参考「マッキーの一件でわかった! 酒飲んで何かが降臨するのなら、それは酒イコール危険ドラッグってことですよ」)。私の仕事の場合、もちろんそんなだいそれたものではないのですが、そういうふうに感じることは過去にありました。

「飲みながら書く」には、さらに重要な(?)側面があります。コラムといえばコラムニストの大家でありアル中→断酒大先輩の小田嶋隆氏の名著『上を向いてアルコール』に以下のような一節があります。

自分の文章に対して、要求水準が高すぎる完璧主義者は、往々にして自縄自縛に陥る。で、こういうタイプの書き手の中には、酒を飲んで、その厳しすぎる批評眼を酩酊させることで、書いて消し書いては消しの無限ループから解放されるのである。

(引用前掲書)

一緒にしたらいかんですが、これもわかるんですよ。自分の今書いている文章を自分の美意識が許せないから、飲んでその感覚を麻痺させて書く、ということですね。私の場合、そのような美意識云々の仕事をしているわけではないのですが、一応署名原稿でもあるし、自分の中では自分に期待するものがそれなりに大きかったので、どうしても「酒で酩酊させて」となっていました。自分に期待するところと自分の実力のギャップを埋めるために酒をくらう、という感じですかね。

だから、よく言えば美意識が高い人ほど、悪く言えばナルシストほど酒の罠に取り込まれやすいとも言えます。ただ後者のナルシスト≒自分が好きは、断酒を続けるモチベーション足りえます。そのあたりのことは以前も書かせていただきました(参考「「自分が好き」な人ほど断酒がしやすいという謎理論(?)がここに完成しました」)。

いいんだいいんだ、どう思われようと

今は素面でコラムつまり主観的な文章を書いていますけれども(当たり前だ)、ギャップに悩まされることなく、すらすら書けます。それは断酒によって生まれた「諦観」ゆえですね。いいんだいいんだ読む人がなんと思おうがこれがわいの限界やでえ~みたいな気分で書いているので、めっちゃラクです。そんなに肩肘張ってやる仕事でもないですよ。

それで評価が悪くて仕事が来なくなったら来なくなったときのことです。もちろん酒飲まずミニマム暮らししていることもあるし、自分の人生において責任があるタームが終わったのも大きいですけれどもね。この辺は、今、責任がある方と一緒にしちゃいかんですが。

ともあれ「いいんだいいんだそんなんで」という思想(?)を手に入れたのは、断酒してからの一つの大きな収穫ですねー。逆に酒があると、美意識過剰になることも含めてやっぱり生活が尖ってきますよ。

今は「坦坦」「淡々」と生きるのが至上価値であり、そのためには「飲まない」が必須条件であることを年の初めに確認しておきたいと思います。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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