今まで大丈夫だったから大丈夫という理屈が通じないことをあらためて確認しました。だから……。

酒やめて、1158日。

今まで大丈夫だったから大丈夫ということがまったく通用しない世の中であり世界であるということを、私たちは東日本大震災で知りました。ある日、突然日常が崩れ去ってしまうことの怖さを肌で感じました。被災地にいたわけでもない、しかもぼーっと生きていた私がそう感じたのですから、日本中の人がそう思ったことでしょう。

経験をエビデンスにする愚かさ

日本人はそこから、リスク管理ということを意識するようになったと思います。程度の差こそあれ、ですね。まあ今回のコロナ危機での買い占めは、ちょっと違う気がしますが。

いずれにせよ、「今まで」という経験をエビデンスにすることの虚しさを感じてしまいます。

と、エラソーに書かせていただきましたが、これはあくまでも普通の人の感覚です。

ということは、そうじゃない人がやっぱりいるんですよ。「今まで大丈夫だったのだからこれからも大丈夫」という人たちが。飲兵衛ですね。毎日毎日を刹那的に生きています。私ももちろん、そうした「飲兵衛サイド」にいました。

で、経験をエビデンスにするとは、以前も書かせていただきましたが、たとえば「俺は今までインフルエンザの予防接種なんかしたことない。それでも大丈夫だった。だから予防接種などしなくていい」というタイプの人です。こういう人は、マーケティング用語でいわれるところの「ラガード」と近しいものがあります(参考「酒をやめて気づいたこと。人類はもしかしたら分化し始めている!?」)

このような考え方ですから、想定外のことが起きるときわめて弱いのです。そして行き着くところは、政治が悪い、補償もらえねーかなあーどうしたらいいんだ、です。そしてどうしたらいいんだと言うばかりで、調べることはしません。私もそういうタイプでしたからよくわかるのです(笑)。

生活と人生をマネジメントしていくということ

さて、ツイッター上で、私が勝手に断酒仲間認定させていただいている「MJ@酒やめリーマン」さんが次のようにつぶやいています。

断酒した今、これもとてもよくわかるんです。飲兵衛の考え方が刹那的であるとすれば、こうした本で提案されているのは、生活あるいは人生をマネジメントすることの大切さですよね。

実は、私が以前、バーで偶然出会い、モエ(シャンドン)をゴチになった方もその後、酒をやめ、お金との付き合い方に関する本を著すにいたっています(参考「あの夜、バーで出会った人のこと」)。

で、その方の本も含め、金持ち父さん貧乏父さん的な本を読むと、お金持ちになる人はやはり常に最悪のことを考えながら行動するといったようなことが書かれていますよね。まさに人生をマネジメントしているのです。

飲兵衛はまったくその逆です。自分に都合のいいことしか見ません。考えることを放棄し、酒を飲みます。そして文句だけを言うパターンです。そういう人、皆さんの周りにもいるでしょ(笑)。

繰り返しますが私もそうでした。東日本大震災をひとつの契機とすれば、それで目が覚めた人と覚めなかった人がいますが、私は酒ゆえに覚めなかったほうです。ただし今回のコロナ禍は、もう覚めた目で迎えていると思います。そこがやはり自分で変わったと感じるところです。

いずれにせよ今ほど、生活マネジメント、人生マネジメントということの重要さが強調されるときはないでしょう。清澄な頭でこれからどうなるのか想定しつつ対処法を常に考える。それを生きる指針にする。そして、そうしたことは飲んでいるとしにくい、というよりもできないのです。だから、過去の延長に未来がないこれからの世の中では、酒をやめていること自体がアドバンテージになる……かどうかわからないけれど、酒を飲んでることは確実にディスアドバンテージになる。そんなふうにも言えそうです。

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