酒やめて、他人を「見下し返す」という処世術(?)を身につけた。

酒やめて、2706日

酒やめる前は性格良かったのだ(自己分析)

このブログは断酒を続けていくために、酒飲んでないとこんなにいいことあるよ、飲んだらこんなにヤバいよ、といったことを自分自身に言い聞かせる目的もあって書いているわけですが、内容を読むと俺って性格悪いよなあと思うことが度々あります。とくに自称適正飲酒者を槍玉に挙げるあたりですね。

しかし私とて最初から性格が悪かったわけではなく、このようになったのは酒をやめてからです。

逆に言えば、やめる前は性格良かったと思いますよ。自分でいうのもナンですが。まあ性格良いというよりも、いわゆるお人好しだった。もっと言えば馬鹿だったってことですわ。だから今は、多少利口になったのかもしれません。酒やめて、世の中の構造が見えてきたんで。そして世の中の構造が見えると人は性格が悪くなるのでしょう。たぶん。

さて、酒やめる前というか、もっと前、子どもの頃から、私は人を見下したことがありませんでした。これははっきり言えます。というのは、自分自身に他人を見下す要素がまったくなかったからです。逆に見下される要素は山ほどあったので見下されてきたわけです。で、アル中になると、そのことも見下され要素として付加されました。

対人関係における対抗手段を手に入れたのだった

しかし酒をやめてから、先に記したように世の中が見え馬鹿じゃなくなってきた(と思う)。そして対人関係においても、なんというか醒めた視点を持つことができるようになった。

むろん相変わらず他人から見下されたりもしますが、そうした輩を「見下し返す」処世術を身に付けたようにも感じています。それがタイトルであり、これは自分にとっては大きいんじゃないかなあ、と。

たとえば、お前はもう飲めない、とか、昔のお前は酷かったとか言ってくる輩に対して、そういうお前はぶくぶく太ってみっもねーなあ、とか、歯も汚ねえじゃないか、など、いやもちろん口には出しませんが、心の中で毒づくことができるようになった。「見返し返す」ことができるようになったのですね。これをブログに書いたりするから性格の悪さが露見するわけで。

ちなみに、「ぶくぶく太って」「歯が汚い」はルックスの問題ではありません。つまり、エラソーなことを言ってるくせに自己管理ができない、その象徴です。なので「ハゲ」は自己責任じゃないので見下す要因にはならないのです。

逆に言えば、そのようなことを自分はできるようになったということであり、それは自己肯定感アップにつながります。たとえば歯が白くなったり、あるいはお腹が引っ込むと自己肯定感が爆上がりしますが、それは自分の身体を自分で管理できるという自己肯定感であり、そのように「目に見える」身体上のことは、目に見えない脳の状態だって管理できているという自信にもつながります。あくまで自分の中では、ですが。

そしてそうした自己肯定感をベースに、エラソーなことを言ってくる人間を鼻で笑う(もちろん態度には出さないが)ことができる。だから腹も立たない。そういう心持ちって私としては非常に新鮮であり、これはこれでいいもんだなあと思う次第であります。性格悪いけど。

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