酒やめて、1294日。
酒と一生添い遂げるのは難しい!
先日、仕事のスタイルと飲酒習慣が合わなくなってきているという話を書かせていただきました(参考「もう働き方そのものが、飲酒とは親和性がとても低くなってるよね、という話」)。
同じように、身体的な寿命そのものと飲酒習慣も合わなくなっている、そういうふうに強く思います。要は一生を通じて酒と幸せな関係を続けられる人、酒と添い遂げられる人が非常に少なくなっているのですね。
それは当然、平均寿命の伸長と関係していますが、これについては後で触れます。
私の周りをつらつらと見渡すに、まず一つのパターンとして、ジジイになって酒をやめるという人がいます。先日書かせていただいた先輩もそうです(参考「大学時代の先輩に会ってしみじみも思う。「人生にはその人にふさわしいことしか起こらない」のだと」)。
つまり学生の時に酒を覚え、仕事上でも必要な時期はあったけれども、そういうことから解放されると、もともと自分には酒なんか要らなかったんだということに気づき、酒なしの人生を送れるというパターンですね。こういう人もいることはいます。
私の学生時代の友人にNというヤツがいて、そいつはもとからあまり酒が好きじゃなく、しかし大学時代の飲み会などでは飲まざるをえずよく寝たフリをすることで有名でしたけれども、ちょっと前に電話で話したら、もちろん飲んでないし、このあいだ注射打たれるとき消毒のアルコールで肌がかぶれてしまってHAHAHAなんて言ってました。
つまり私のように無理くり酒をやめなくても自然に離れられる人は確かに存在しているのです。
もう一つは、それとは逆のパターンで、長い間飲酒習慣を続けて、アル中、アルコール依存症あるいはそれに近いかたちになってしまう人ですね。
アル中、アルコール依存症は、一日ビール3本以上程度の飲酒を男性で20年続けると、女性で10年続けるとそうなるといいます。大量飲酒しなくても、長年飲み続ければヤバいよ、ということです(ビール3本は大量飲酒か否か、人によって意見は分かれると思いますが)。
このアル中到達飲酒年数と平均寿命、男性で81歳、女性で87歳を比べてみると、一生を通じて酒と幸せな関係を続けられないことがわかります。
とくに女性の場合、アルコール依存到達年数10年と、平均寿命-飲酒開始年齢である67年の「格差」は重要です。女性は肝臓が男性に比べて小さいので、あっという間に依存症になる、という言い方が悪ければ、酒との幸せな関係が崩壊してしまいます。普通に飲んでいたのに、いつの間にか依存するようになる、これが一番怖いのですね。
もちろん男女問わず、一生添い遂げられる人もいるでしょう。そういう人は、毎日、適量しか飲まない人です。そしてこの「適量」とは、今は1日350ml缶ビール2/3程度となっています(参考「上原浩治の「ビール二本で我慢」をどう捉えるか」)。これが、酒との幸せな関係を続けるための基本ラインです。厳しいです(笑)。
酒との付き合い方について、有史以来の変革が起きている!?
なかには、肝臓エリート内臓エリートと呼ばれる、長年、毎日飲んでいてもガンマGTPの数値がまったく上がらないという人がいます。しかしそういう人は、肝臓が丈夫で身体に影響が出ない分、知らず知らずに脳がやられていくわけで、こちらもタチが悪いです。
認知症にならないまでも、脳のパフォーマンスが落ちていくということですよね。
で、ここに一生働かなくてはならないという社会的な事情が関係してきます。いつも書いていて恐縮ですが、昔は定年と同時に年金支給でしたから、そこまで脳が保てばよかった。しかし今はそうではありません。加齢は仕方ないにしても、それ以外の要素で脳のパフォーマンスをなるべく落とさないようにすることが、長い長い人生を生きていく誰にとってもの課題になっています。
人類は有史以来、酒と付き合ってきました。しかしそれは、寿命が短かったからできていたことかもしれません。酒で脳や身体をゆるやかに殺していっても、それとともに本来の寿命も尽きていたのです。しかし今は平均寿命そのものが伸びていて、それ以上に社会と関わる年数が伸びています。それはもしかしたら「有史以来」と言ってもいいかもしれません。
とくに平均寿命が長く、しかもアルコール分解能力に劣る東洋人であるところの日本人と酒の関係は、ここにきて大きな転機を迎えているのではないでしょうか。