酒、それ自体もまた「レガシー」のアイコンであることを、勝手に認定させていただきました。

酒やめて、1117日。

飲み会はレガシー。じゃ宅飲みは?

前日、「飲み会はレガシー」であるということがめでたく決定いたしました(参考「「2025年の崖」の文系的解釈。そこに酒はどうからむのか」)。少なくとも断酒者的には、です。しかしここで問題が出てきます。では宅飲みの酒はどうなの、ということです。

断酒は確かに経済的なメリットがあります。それはよく取り上げられるところです。ところが今やこと宅飲みだと、きわめて安く飲めてしまうのですね。そしてストロングゼロに代表されるように、きわめてお手軽にあっち側に行けてしまいます(参考「ストロングゼロは貧者の核兵器にもなり得る、恐ろしい戦略物資ではないかという仮説」)。

ですから宅飲みをやめるということについて、「節約」「お金がたまる」がモチベーションになるとは必ずしも言えないご時世なのです。ここが難しいところではあります。

しかしですね、これも「2025年の崖」が今問題になっているIT社会ということを考えると、宅飲みやってる場合じゃないね、みたいな話になるのですよ。

以前、電話のことをディスりました(参考「そこの酔っ払いの方、ほろ酔い加減で断酒者に電話をかけてくるのはやめてください!」)が、電話のよい点は少なくとも夜中にはかかってこないところです。ところがメールは夜中だろうがなんだろうが24時間アクセスしてきます。そして恐ろしいことに、夜中のメールにも対処しないといけないケースというのがあるんですね。世の中には24時間働いてる人間がいますから。いや、これはマジな話です。

むろん、グローバル化とやらで、世界を相手に仕事している人もいるでしょうし、副業で海外投資をやっている人なら、24時間営業は当たり前であると推測いたします。いずれにせよ24時間働く、いや、働こうと思えば働ける、「夜中に人に差をつける」は、今後、定番になっていくのではないでしょうか。

ちなみに9時5時と言われる、官僚じゃない一般公務員でも、夜中にキャリアアップの勉強をしている人は何人も知っています。そういう時代です。

ITインフラの深化を考えると、酒は十分にレガシーです!

IT化が進化深化すると、社会インフラが24時間仕様になるわけです。そしてこの時間をどう活用するかで未来が決まってきそうです。

誰でも平等に24時間あると言いますが、酒を飲むとその24時間のうち、そうですね、寝る時間も含めて10時間ぐらいは平気でなくしてしまいます。そうすると1/2.4を有効に活用できないことになりますよね。せっかく社会インフラが24時間、富を生むことを可能にしているというのに。

そしてライバル(?)というか、活用している人はそれを活用しています。ますます差がついてしまうわけです。

考えてみるとこれは非常にもったいないことです。酒は時間を奪うと言いますが、その意味が、ITの進行によりさらに大きくなっています。

ということで、めでたく宅飲みも「レガシー」に分類されることに決定いたしました。断酒者的に、だけではなく、社会的に考えてもそうなのです。IT社会の進化という物差しを用いると、嫌でもそうなります。そして「2025年の崖」に代表されるように、レガシーなるものは富を奪うこともわかりました。

レガシーたる酒をビハインドに置いて新しい時代に歩き出したいものですね。お互い。

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