「2025年の崖」の文系的解釈。そこに酒はどうからむのか。

酒やめて、1116日。

「2025年の崖」という言葉をよく目にするようになりました。で、タイトルに使って「2025年の崖 文系」で検索上位を狙ってみました。完全にブログ脳やがな(笑)。本当は「文系でもわかる2025年の崖」にしたかったのですが、それでは文系にもわかるように説明しなければならなくなるのでやめました。てことは、要はわかってないのです。「2025年の崖」について。

12兆の損失が「続く」とは剣呑な話です

それでもあえて説明すれば、というよりも今調べたのですが、「主にIT業界において、旧式の業務システム、つまりレガシーシステムが原因で、2025年以降、日本経済は年間約12兆円もの経済的損失を被り続ける可能性がある」になります。一昨年、経産省が公表したレポートでそのような言及がなされたとのことです。「12兆の損失が」ではなく「12兆の損失が続く」というからまさに「崖」であり、剣呑な話です。日本のGDPが年間500兆円程度ですから無視できる額ではありません。

これがわかりやすいです。本記事はこちら

んじゃ、そのレガシーシステムとやらを革新すりゃええやん、とは簡単にいかないことは文系脳でもわかります。たとえば、ワードプレスでつくったブログでいえば、便利そうで合理的なプラグインを入れるのはいいけど全体のレイアウトが狂ってまうかもしれん、といったところでしょうか。そんなもんじゃないか。でも、そんなに間違ってはいないと思いますが……。

で、文系的解釈を続ければ、これから、その「レガシー」なるものが、各方面でわさわさと出てくるに違いなく、「2025年の崖」はその一局面にすぎない、と。

新型肺炎で「人が集まる」は悪に!?

「2025年の崖」はIT業界のものとされています。では社会全体における「レガシー」はなにかと考えると(文系的に)、卑近な例では「無駄な会議」ですよねー。レガシーシステムが12兆円の損失をもたらすと言いますが、無駄な会議も経済損失に換算すればかなりのものになるのではないでしょうか。しかもレガシーシステムの損失が「これから」なのに対して、無駄な会議は「これまで」も、ずーっと損失を垂れ流し続けてきたのです。

はからずも新型肺炎をひとつの奇貨として、「大勢で一箇所に集まらない」ということが社会ルールとして確立しようとしています。日本人は震災などの天災を契機としそれを克服することで社会をイノベーションしてきました。その伝で行くと、今回の新型肺炎も、社会がより良いほうに変わる一つのきっかけになるのでは、と期待しております。

さて「大勢で一箇所に集まらない」については象徴的なことが一つあって、国会です。今、国会もやめようじゃないかみたいな話が出てますけれども、まったくその通りで、多くの国民がそう思っているでしょう。しかしそれが、この新型肺炎市中流行という一大事にサクラサクラ言ってる野党から提案されているのですから失笑ものです。これまで会議を無駄にし国富を損失させてきた人たちが、どういう意図があるのか知りませんが声高に主張しているわけですね。

まあそれはそれとして、「レガシー」は他にもたくさんあります。電話ももちろんそうです。以前も書きましたが(参考「そこの酔っ払いの方、ほろ酔い加減で断酒者に電話をかけてくるのはやめてください!」)、電話は人の時間を奪います。ビジネスという観点からしてもはなはだ不合理なツールでありコミニケーション手段です。今回テレワーク推奨などと言われて「電話で済む」という向きもあるようですが、逆に言えばテレワークブーム(?)でテレフォンを使うかその他のコミュニケーション手段を使うかで、それぞれの会社や事業主のビジネスの社会性が問われるのではないでしょうか(おおげさ?)。

そうしたなか、「レガシー」の超大物といえば、やはり飲み会ですよねー(笑)。断酒者的な都合のよさではなく、世の中的にもきっとそうでしょう。繰り返しますが今回の新型肺炎禍で「大勢で一箇所に集まらない」になっていますので、これを機に飲み会のバカバカしさとリスクがあらためて確認されるのではないかと思います。そして飲み会というものが、だんだんと社会から消えていくことを望む次第であり、そう思っている人も若者を中心に多いのではないでしょうか。

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