「他者に理不尽な恐怖を与える」ことを「旧弊」とするならば、飲酒行為もまた旧弊であり、まったくもってスマートじゃないよねという話。

酒やめて、1450日。

国鉄、郵政、NHK、そして飲酒の共通項とは……

一昨日、「敵軍――酒造会社が「スマート」という言葉を使い始めた存外に大きな意味」という記事を書かせていただきました。酒メーカーであるところのアサヒビールが「スマートドリンキング(宣言)」なるものを出したのは、逆説的に「飲酒行為はスマートじゃない」と認定されたに等しいということですね。例によって断酒者のご都合的理屈かもしれませんが。

ともあれ、飲酒行為はスマートじゃない=旧弊であるということについて、書ききれてない部分もあったと思いますので、ここでもうちょっと深掘りさせていただきます。

以前も書きましたが、思えばバブルからこっち日本の社会は「旧弊」追放に取り組んできたわけですよ。その端緒は、これはバブルと時期が前後していますけれども国鉄解体じゃないでしょうか。

国鉄という組織は今の人には想像もつかないですが、旧弊そのものでした。もちろん国鉄解体民営化の背景には、膨大な累積赤字をなんとかせんといかんという事情があったのですが、そういうこととは別に我々利用者から見た国鉄は、すべてにわたって高圧的でした。国鉄の窓口なんてめちゃ怖かったですからねー。あの頃を知る人間にとっては、今のJRの窓口にいる人はマジ神です。

これも以前書かせていただきましたが、私の家の場合、家族旅行の際などには小学生あるいは中学生だった私が指定券を買いに、みどりの窓口に行くのが恒例でしたが、大変プレッシャーのかかる行為でした。とにかくなんかへまをやらかすと怒られそうで、学校の一番怖い先生に接するときよりも緊張しました。本当は優しい交通公社(今のJTB)に行きたかったのですが、交通公社は10時開店でその時間までに指定券は売り切れてしまうのが常態化していたので、国鉄に行かざるを得なかったわけです。逆に言えばそれだけ需要が大きかったので殿様商売でいられたということですよね。でもそんなに需要があったのになぜ赤字が膨大になったのか、その辺が闇なのでしょう。

で、次なる「旧弊」排除が郵政でしょう。郵便局の窓口も国鉄ほどではないですが、子ども心からすればやっぱり恐いところでした。国鉄の窓口、郵便局の窓口、そして歯医者と床屋が恐い場所でした。そう考えるとほんとに変わりましたよ、世の中。

また昨日も書きましたが、NHKも「旧弊」です。単に制度が今の世の中にそぐわないというだけでなく、受信料徴収員が「理不尽な恐怖」を多くの人に与えてきたということでも、先の基準からはまったくの「旧弊」でしょう。そしてもうその手のことは「スマートな社会」ではお呼びじゃないのです。

で、飲酒が旧弊かどうか、スマートじゃないかどうかという点については、「理不尽な恐怖」ということを一つの物差しにしてもよいかと思われます。その伝でいくと、街中の酔っ払いは理不尽に怖いですよね。そして理不尽に迷惑をかけます。これだけでも旧弊であることはもう明らかです。もちろんコロナで街中の酔っ払いは減っているのでしょうが、その分、DVが増えているという話も聞きますし、DVは理不尽な恐怖の最たるものでしょう。そしてこれに対しては、世の流れとして厳罰化に進むと思います。

繰り返しますが「理不尽な恐怖」という尺度を用いるともう完全に飲酒行為は「旧弊=スマートじゃない」行為ですし、酒メーカーがわざわざ「スマートドリンキング」と言い出すのもわかる気もします。うちらはそっち側じゃないでえ~というわけです。

WHOの失地回復に、酒規制が使われる!?

で、このように言うと、俺は酒を飲んでもきちっとしているしそんなこととは無縁だと反論するムキも多いでしょうし、むろんそれが大多数でしょう。実際、飲んでいても乱れないタイプが私の周りでもほとんどです。しかしそうした人たちも、断酒者としての意地悪な目(?)で観察すれば、やっぱり長年の飲酒でいろいろダメージくらってきてるなあ、と感じたりしますよ。まったくもって余計なお世話ながら。

いつも言ってるように、飲酒習慣と高齢化した日本人の寿命、そしてジジイになっても働かなければならないという昨今の社会状況はあきらかに合っていないです。飲酒は本来、55歳定年で定年と同時に年金がもらえた世代のものですよ。昔の国鉄職員みたいに。

ともあれこのように酒が旧弊認定されつつあるのはもう事実であり……、というよりも、前からみんなが思っていたことがどんどん顕在化しているといったところですよね。そしてWHOなどは常に粛清する(?)ターゲットを探していますので、コロナ蔓延の失地回復をしたい今、飲酒に目をつけるのもわかるというものです。ま、これも理不尽な暴力といえばその通りであり、この辺に社会の皮肉があるような気もしますが。

いずれにしても、今年はそのように酒の地位が没落していく元年になってほしいと思います(参考「人類が有史以来の飲酒習慣に決別する「元年」になるのか!?(期待を込めて)」)。

酒の地位が低下すれば、我々断酒者は断酒が続けやすくなります。そして「酒飲んでるの、ダサい」の世の中になれば、我々はそうした中で、「古参」の地位を占めることができますもんねー。美味しいです(そうなのか?)。

「古参が美味しい」云々はともかくとしても、少なくとも「飲まないかっこいい・飲むダサい」の価値観を、お父さんお母さんとしてお子さんに呈示できるのは、本当に大きいと思いますよ。それに失敗した人間として心から思います。

今後、若者が生きていく世の中は激変タームに突入しますから、おそらく一生勉強し一生スキルを磨き続けなければならないでしょう。そうしたときに「酒飲まない」は非常に大きなアドバンテージになることは間違いないでしょうね。

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