アル中、あるいはアルコール依存症と「アルカス」との複雑な関係。

酒やめて、1311日。

パチンカスがいるからにはアルカスもいる!

パチンカスという言葉というか属性があって、要はパチンコ中毒のあまり自分の人生を壊すのはもちろん他人にまで不幸を負わせるような人のことです。その典型はパチンコ屋駐車場のクルマに子どもを閉じ込めたまま放置する親ということになるのでしょう。あるいはパチンコマニアが自虐的に自らのことをパチンカスと呼ぶケースも多いようです。

同じようにアルカスという属性もあります。アルコールカスですね。酒カスにならないのは、酒粕と混同されるからだと思われます。

パチンカス同様、自分の子を死に至らす人間もいます。こういうニュースがありました。

車内から食べかけのパンや飲みかけの水 2女児放置死

アルコールもパチンコと同じということです。

いや、不特定多数の人に迷惑をかける、あるいは不愉快にさせる、という点では、アルカスのほうが影響力が大きいと言えるのではないでしょうか。

たとえば通勤電車の中でビールの臭いを撒き散らすとか、あるいは揺れてこぼしたりするということです。私もやっていました。申し訳ないです。さすがにこぼしたりはしませんでしたが。

このあたりは、ツイッターの#常磐線日記に詳しいですね。

また私も、その常磐線日記の断酒への効用(?)について、書かせていただいています(参考「ツイッターの#常磐線日記がめちゃ笑えて、しかも断酒モチベーションも高めてくれる件」)。

アルカスになりたくないから、アル中になるという超理論

では、アル中とアルカスはどう違うのか。アル中でもアルカスになってない人はいます。

たとえば先日、私はショッピングモールのベンチで午前中から缶チューハイを飲んでいるおじいさんを目撃しました。アル中ですよね。しかし身なりもきちっとしていて荷物は自分の膝の上に置き非常に控えめに飲んでいます。おそらく奥様が買い物してる時に「酒でも飲まなきゃやってられない」状態になっているのでしょう。気持ちはすごくよくわかります。こんな時でも飲まざるを得ないのはアル中ですが、しかしこの人はアルカスではありません。

ちなみにストロングゼロの缶がおしゃれだから酒を飲んでいるように見えないと一般の人は言いますが、それは違いますよ。そもそも今、缶の飲料イコール酒といった状況なので、当然ながらその一点でバレバレです。で、本当のアルカスは、たとえば昔の私のように、こういうケースで飲んでいてもバレないように、お茶のペットボトルにキンミヤ仕込んだりします。

以前にも書きましたが、アル中が嵩じるととにかくアルカスに見えないように必死で工作するのです。

裏を返せば、アルカスに見えてしまうことをアル中はとても怖れています。だからこそアル中は、俺はそんなアルカスとは違うという「否認の病気」に罹患し、そして「俺は違う」と言っているうちに、アル中がどんどん進行していくのでしょう。

つまり俺はアルカスじゃないと必死で思い込もうとしていること、それ自体が、アル中を進行させる側面がある、とも言えます。この辺の構造的な複雑さも酒の怖いところであり、すっぱり縁を切るのに越したことはないかと。

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