酒やめて、1432日。
あの「ボクの時間」はどこに消えてしまったのでしょう……
人生も後半になって正月を迎えると思ってしまうのは、
正月は冥途の旅の一里塚
ということですね。あー、いやだいやだいやだ。新年なのに縁起でもないけれども、まあ残された「時間」というものに対してはどうしても思いを馳せてしまいますよ。これも齢食ったからなのでしょう。とほほ……。
思えば私の人生の前半戦は、酒を覚えてからというものの、あっという間に過ぎてしまった感があります。正確に言えば、飲んだくれていてあっという間に終わったと感じる時間があまりにも多すぎました。
本当にいつも書いていて恐縮ですが、酒というものの時間強奪能力は、そら怖ろしいものがありますよ。そして繰り返しますが、酒を飲んでる時があっという間であるとするなら、すなわちその人生もあっという間であるということです。今から考えれば本当にもったいないことをしたと思います。
もちろんあっという間に時が過ぎるのは、その時が楽しい証拠でもあります。ですからそれはそれで幸せだという考え方もできなくはないかもしれません。
ただ問題は、時間を奪取されるのは酒を飲んでいる時間だけじゃないということです。当然、その後の時間も使いものにならないし、あるいは二日酔いで頭が上手く働かない時間も無駄と言っていい。そういうふうに考えていくと、酒によって強奪された時間が多すぎるということは、「ちゃんと生きている」時間の人生のなかでの割合がすごーく少ないことになり、これは非常に具体的な意味合いで「酒に奪われた人生」ということになるのでしょう。
「酒飲まない」は神の啓示か!?
で、酒に頭が支配されていない(本当は一日中支配されているんだけど)時間でいろんなことをやろうとするから齟齬が出てきて、たとえば仕事などもいつも焦ってやらなければいけない状態に追い込まれていたわけです。私の場合。
当たり前すぎることを言えば、酒飲むことを最優先した結果、他のことが犠牲になっていました。ただしアル中ならずとも、飲酒習慣がある人なら大なり小なりこうした傾向はあるでしょう。酒やめてみると、大酒くらってなおかつ仕事も家庭も上手くやろう、なんていうのは、いかに大それたチャレンジか、わかるというものです。
で、これまたいつも書いていて恐縮ですが、酒をやめると、時間というものが今までどこに住んでいたのだろうと思うくらいわさわさと「出現」します。言い換えれば、24時間がすべて自分のコントロール下にあるわけですよ。そうすると当然ながらいろんなことができる。それで人生も長くすることができる。時の神クロノスになったような気分でいます(大げさ)。
この「時間」ということを考えると、そして人生の後半真っ只中という個人的事情を考えるとほんとにまったく酒飲んでる場合じゃないですよ。という自戒を新たにしたいと存じます( ー`дー´)キリッ
齢を取ると一般的には酒に弱くなり、なかには酒から自然と離れる人もいます(うらやましい!)が、それは神の啓示なのかもしれませんね(大げさ)。