酒やめて、2516日
ジャンキー度が高い趣味というものがありまして
やっていることがそのままその人間のアイデンティティになる、といった趣味があります。たとえばサーフィンなどはそうだと思います。サーフィンをやっている人のことを「サーファー」と呼びますよね。これは生き方を表現するものだったりします。ランナーもそうですし、登山家もそうではないでしょうか。
裏を返せばそういった趣味はジャンキー度が高い。脳汁をたくさん出してくれる行為でもあり、ハマるといろいろやばいという側面があります。でもってもう一度裏を返せば(?)、飲酒の代替としてはジャンキー度が高い行為のほうが有能です。ジャンキーを以ってジャンキーを制す理論(?)ですね。
さて、ランナーや登山家はなんとなくエリートぽくもあるのですが、サーファーは見た目や雰囲気もジャンキー度が高いです(偏見)。湘南でも鎌倉方面はスタイリッシュな人も多そうですが、そうでない一般的な(?)海岸においては、来ているおっさんサーファーは、もちろん私も含めて、風貌その他はパチンコ屋に並んでいるおっさんと変わりはありません。喫煙率も高いし。この前、海の駐車場でガラムの匂いがしたのでビビりましたわ。ともあれ、お父さんパチンコ行ってもいつも負けるんだから海行ってきなさいよ! と言われて海来ました、みたいな人が多いです。
私の愛する浜松地区(移住したいと思っている)でいえば、「オットーならコンコルド(有名なパチンコ屋)かタコバ(有名なサーフポイント)のどっちかだら」てな感じでしょう(推測)。
間口が広くてなおかつ、だから危険なのです
だからかっこよくはないのだけど、ともかくそのような「〇〇なくして何の人生ぞ」的な趣味がある、と。冒頭に記したように、その行為が自分のアイデンティティになる趣味です。
そして実は「飲酒」もそうであります。
私なども会社員時代、社内報に「趣味 飲酒」と書いたりしてましたし、誰かに紹介される時でも「いやいや、もう酒飲むぐらいしか能がないんですよ」とよく言ってました。まさに「アイデンティティ」です。それが進化(?)すると、飲んだくれて天下国家を論じる俺ってかっこいいみたいになります。実際そういう人もいます(参考「酒がもたらす仲間意識がアイデンティティになってしまうとヤバいんじゃないですか」)。
でもって、サーフィンやラン、登山などと飲酒を比べたとき、どちらも「アイデンティティ」になるけれども、ただサーフィンにしてもランにしても登山にしても、飲酒よりも間口が狭く、楽しくなるまでに時間がかかります。だからこそいいんだということが言えます。
例によって文章力のなさで上手く伝えられないのですが、何が言いたいかというと、ですね、飲酒というのは、簡単にできてしまい、なおかつ飲んでいることがアイデンティティになる。この二つを満たしているから、ものすごーく悪質なのだということでありますよ。理屈っぽくて申し訳ありませんが。
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