「謙虚」「受容」は「上級人類」の資質だという、謙虚じゃない主張。

酒やめて、3165日

過去の自分も含めて反面教師は存在している

一つ前のエントリーで、小田嶋隆さんの考察を引用しつつ、酒による魔改造のティピカルな例として「自己肥大妄想=自慢」と「こだわり」があるということを書かせていただきました(参考「本当に怖いのは、酒による人格魔改造だ」)。

そうすると、私がX上で勝手に断酒仲間認定させてもらっている「トビラ@断酒生活」さんから、以下のようなポストをいただきました。

小田嶋先生の著作の引用で、いわば他人のふんどしで相撲をとったにも関わらず、過分にお褒めをいただき大変恐縮なのですが、勝手に調子こいて、この点について少し深掘りをさせていただきます。

というのは、今、このブログをまとめたKindle書籍を出版したいと構想しているのですが、その書籍『飲まない人は、上級人類』(勝手にタイトルだけは決めている)の一つの大きなテーマになるところでもあるからです。

まあしかし、私の周囲をつらつら見るに、酒飲みすぎて、あるいはもともとの性格ももちろんあるのでしょうけれども、「自己肥大妄想=自慢」と「こだわり」で満ち満ちているというか、それで人生を武装している人間はいます。

で、断酒er特権としては、こういう人をまさに反面教師にできることですね。「トビラ@断酒生活」さんも書かれていますが、過去の自分のことも含めて。これって今の世の中では、結構なアドバンテージになると考えるのですよ。

なぜ、断酒erが有利なポジションにいるかというと……

「自慢」と「こだわり」の反対は何かというと、「トビラ@断酒生活」さんも指摘しているように「謙虚」とそして「受容」です。

「謙虚」というのは、今の時代めっちゃ実用です。謙虚ベースの「受容」の姿勢があればこそ、得られるものがたくさんあるからですよね。それは新しい知識であったり情報であったりします。そしてこれだけ世の中がICTやAIによって変わってきていると、その姿勢は、実用を超えて、もはやサバイバル条件だったりします。なのでこれを身に付けられるということにおいて、断酒erは上級人類なのですよ。まったくもって謙虚じゃない考えですが。

ちなみに「受容」は今の時代、多文化共生などという文脈で語られたりもしますが、そのような、多文化共生によってトクをする(?)勢力に強制されるような「受容」ではなく、あくまでも自分の未来のために行う「受容」です。

だからアレですよ、大空翼くん理論(参考「オープンイノベーションマインドと飲酒習慣は、もしかしたら対極の位置にあるのかもしれない」)です。翼くんがライバルの必殺技をことごとく自分のものにしてしまったように、我々も、他者(AI含む)の知見を自分のものにするために「受容」するのです。理屈ぽくてすまんが。

ではなぜ、断酒erはそうした資質を身に付けられるかというと、これまでもさんざん主張してきたことではありますが、「謙虚」「受容」の前提として、ある種の「諦観」があると思われるからです。断酒erはそれが得やすいのですよ。なぜかというと、それまで一番「こだわって」いた酒という存在から離れられたからです。

要は、「謙虚」「受容」を身につけ上級人類として生きるには、「こだわり」を捨てた断酒erは非常に有利だという言いたいのでありました。謙虚じゃなくてすまんが。

原則として火曜日と金曜日の19時に更新しています。

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