「自由」というものは理詰めでつくり上げるものだったんですね。そんなことにも気づいていなかったとは。

酒やめて、2570日

日本一周マンを目撃してハタとなったのだった!

サーフィンするポイントに行く途中、わりとよく見るのが自転車でツーリングしてる人で、時として「日本一周」というのぼりを立てていたりもします。一度、そうしたのぼりを立てて歩いている人を見たことがあり、つまり「徒歩で日本一周」なのでしょう。その姿を目撃したとき、すげえなあと思いつつ、自分が人生で一番したいことがわかったような気がしました。それは放浪です。

私の場合、子どもは独立していますし、元妻はバリバリ稼いでいるようだし、母は他界し父は老人ホームに入っているので、もうなんのしがらみもありません。友だちも少なめです。でも寂しいとはあまり思わないし、あまりコミュニケーションを求めないのですね。

ちなみに酒飲んでいた時代はめっちゃコミニケーションを求めていましたが、それは酒さんの戦略だったと今は考えており、本当の自分はぼっち耐性があるというか、ぼっちの方が好きなんだなあと思ったりもします。

自分一人で自由に生きたい(身勝手)みたいな指向は若い頃からあって、その究極が放浪なのでしょうけれども、しかし子どもを育てなきゃいけない時代はそんなことができるわけもなく、とりあえず酒を飲んで俺は自由だと(心の中で)叫び、自由なっているつもりでした。愚かにも。

酒さんは一時的に自由にさせてくれるので、自由になりたいがゆえに酒を飲む。一方で、酒飲むと人恋しくなっていたのだから、まあホンマもんの馬鹿ですわ。

叫んでいるだけでは、自由も平和もやってこないで

酒やめて、自分自身の状況もある程度「好きにさせてもらおうもん」に突入しつつある今となっては(参考「酒やめて、まる5年。あれだけ好きなお酒をやめたんだから、後は好きなことしてもよかろーもん(←これ)」)、自由というものは、理詰めの戦略というかライフハック的なものの統合でかたちづくられるものなのだなあと考えています。酒飲んで自由だと叫ぶだけでは自由がやってこないことにようやく気づいている次第でございます。

で、これって何かに似てるやんと思ったのですね。それは「平和」です。平和も、平和が大切だと叫んで九条を宝物のようにしているだけでは実現できませんよね。今までが奇跡だっただけで。平和も自由と同じで、理詰めでつくっていくもの、一つひとつの戦略を積み重ねて実現するものでしょう。もしかしたらその中に核武装も含まれるのかもしれません。

なんて、お前、唐突にそんなこと言い出して、アマプラのドラマ『沈黙の艦隊』視たやろうと言われれば、その通りですと答えるしかありません(苦笑)。

それはそうなのですが、自由だと叫んで酒を飲んでいた自分のアル中時代と、平和平和と叫んでいる勢力とが重なって見えたもので(汗)。

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