酒やめて、1558日。
世の中、酒を必要としない人も案外多い!
酒やめて感じるのは、世の中には飲まない人も案外多いんだなあということですね。ちなみに現在、『飲まない』(「やめた」「ほとんど飲まない」「飲まない(飲めない)」)層は、20代では男性51.4%、女性62.1%にもなるそうです(参照「さらに進んだ若者のアルコール離れ-20代の4分の1は、あえて飲まない「ソーバーキュリアス」」)。私の周囲(のジジババ世代)においても、私が酒を飲まないと「〇〇ちゃん(私のこと)が飲まないのなら僕もやめとこう」みたいな人もいますし、「今日はナムルをつくったので一杯だけ白ワインを飲もう」といったタイプも案外多いのです。つまり典型的な機会飲酒者です。飲み会があっても、最初の一杯だけ乾杯だけっていう人も結構います。
コロナとの絡みで言えば、コロナが収束しようとずっと続こうと、無駄な飲み会はなくなりますので、この手の人は非常に暮らしやすくなるでしょう。
それにしても、繰り返しになりますが、このような機会飲酒者が世の中に多いというのは、本当に初めて知りましたよ。アル中時代は、周りもアル中陽性、あるいはアル中疑似陽性ばかりでしたから。もっとも本人たちは「俺は大丈夫( ー`дー´)キリッ」で、それを認めてない人がほとんどでしたけど(笑)。
認めている認めてないはともかく、毎晩、大酒かっくっらってる、あるいは大酒でなくても、毎日飲んでる人ばかり周りにいるという感じでした。
もちろん私は「大酒かっくっらってる」クチでしたが、ただこんな生活をしてたらいつかは破滅するだろうという思いもありました。少なくとも「俺は大丈夫( ー`дー´)キリッ」ではなかったです。
死ぬまで飲み続けることははたして可能なのか
で、そうした立場(?)からすれば、たとえ毎晩適度に晩酌するといったことでも、それを死ぬまで続けられるのかなあという疑問もあるわけですよ。余計なお世話ながら。
これは単純に身体的なこともあるし、あるいは死ぬまで働かなければならないという昨今の「老後事情」もあるでしょう。
昔の、そして今の年金世代のように、60歳の退職と同時に受給し、それが確定拠出分もあわせれば400~500万になるということであれば、物理的には死ぬまで飲めるでしょうし、アル中になる自由もあります。さらに認知症になる自由もあります。脳が劣化したとしても、ある意味、どうってことないわけです。
でも我々世代は一部を除いてそういうわけにはいかず、死ぬまで何らかのかたちで社会に関わりを持たなければなりません。そうしたとき、加齢による脳の劣化に、さらに飲酒による脳の劣化を加えて、社会との関わりを保てるのか、年金以外のお金を生み出すことができるのか、という問題が横たわります。これは社会的な側面です。
一方、身体的にもこれだけ寿命が延びていて、ある意味、死にたくても死ねないなかで、脳以外の部分の身体を「総合的に」むしばんでいく酒とつきあっていけるのか、という問題も当然ありますよね。
そのように考えると、死ぬまでやりくりしながら酒と付き合っていくというのはどんどん難しくなるのかなあ、どんな人でもいつかは酒をやめなければいけない日が生きているうちに来るのかなあ、とも思いますね。
だったら早めにやめたほうが――つまり脳が劣化していないうちに、あるいは身体がまだダメージを負ってないうちに、もっと言えば若いうちにやめたほうが、いろいろ得だよねという思いも、断酒者としてはあるのです。これは「ご都合理論」とも言えないと思うのですがなにか?