酒やめて、「がんばる」こともやめた。だってがんばらなくてもできてしまうから。

酒やめて、1562日。

少ない時間とエネルギーでやるのだから「がんばる」になるのは当たり前!

酒やめてからというもの、仕事についても、日常生活のタスク(大げさ)についても、とにかく必死こいてやるという感じがまったくなくなりました。これは本当に不思議なことです。ちょっと前から「がんばりすぎないブーム」みたいなものがあり、若干の揶揄とともに語られたりもしていましたけれども、マジがんばらなくても生きていけるのです。

逆に言えば、酒飲んでいた時代は、酒の飲む以外のときは結構がんばっていたということです。考えてみたらこれは当たり前で、酒飲むことに人生を捧げていたので酒飲む以外の時間がまず物理的に少なく、さらに酒にエネルギーを恒常的に奪われているので「使える」エネルギー量の絶対値も少なく、その少ない時間とエネルギーでこなさなければならない結果、「がんばる」になってしまいます。その時の自分のキャパ以上のことをしなければならなかったのです。そうじゃないと生きていけませんから。もちろん私の場合、定収入皆無のフリーランスな身の上なので時間の使い方など特殊な部分はありますが、ただ多くの大量飲酒者もそのような傾向があるのではないかと考え、一般論として書かせていただいてます。

そのように少ない時間と少ないエネルギーで仕事なりなんなりを遂行する、さらに言えば、あー酒飲みてえなあと、いつも「渇望」しながらがんばるのは相当に辛い。人生追い詰められている感が常にあって、当然焦りますし、往々にしてキャパオーバーとなり、周囲との軋轢を生んでしまうのも辛かったのです。ま、自分が悪いんですがね。

人生、実はラクなものやったんやああああ!

で、いつも書いていて本当に恐縮ですけれども、酒やめると普通のことが普通にできて、そんなにがんばらなくても仕事も終わり、日常生活のタスクもこなせてしまいます。時間内に、です。こうしたがんばらなくてもできてしまう感覚は、元アル中にとっては、新鮮でさえありました。

この理由は、酒をやめると、そしてテレビのような低クオリティコンテンツは酒をやめるとまったく興味がなくなるのでそれもやめると、時間がもう大量に湧いてくるからです。いつも書いていて恐縮ですが。

そのように大量の時間があり、しかもエネルギーがスポイルされてないので気力も比較的横溢していて、なおかつ、もう仕事や家事しかやることがないという状態が現出します。そうすると、これもいつも書いてますが、そんな仕事や家事のようなことでも少量ながらもドーパミンが出てきてくれますので、「乗って」やることさえできてしまうのです。これまた非常に不思議な感覚でした。

そうしたこともあり、すべてがパワーをかけなくてもできてしまう。なんというか運転で言えば、3000回転以上回さなくても目的地に着いてしまう感じです。

だからほんとにラクです。マラソンを全力出さずに走りきり爽快感だけが残るというと、まあ大げさですけれども、ただ、あー人生、実はラクなものだったんだなあと、しみじみ感じている断酒者なのであります。

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