「酒飲むようには見えない」と言われて、舞い上がる断酒者なのでありました。

酒やめて、2176日。

肝臓摘出武勇伝(?)を話すと……

今年に入ってから私にしては珍しく忙しく、結構いろんな人に会っています。この「人に会う」ということが飲酒時代は非常に苦手でして、誰かに会って打ち合わせをしなきゃいけないような朝は、ほんとに布団から抜け出る勇気が出なくて、気付けに一杯やりたくなる思いでした(参考「酒やめてから「布団の外にあるもろもろ」に立ち向かう勇気を得た件」)。そういう人も多いのでしょうね、ということも以前書かせていただいています(参考「あの朝、見かけた「ご同輩」たちは今どうしているのだろう。余計なお世話ながら」)。

今は、別に何の抵抗もなく人に会って話ができます。で、世間話の類で、実は肝臓に腫瘍ができ去年手術しましたという武勇伝(?)をなにかのときに話したりします。

そうすると世間には肝臓が悪化する=大酒飲みといったイメージがあるのでしょう、「(肝臓が悪くなるほど)お酒を飲むようには見えない」と言われるのです。「言われるのです」と書きましたが、正確には一度だけそういうふうに言われました。

オンリーワン・エクスペリエンスなんですが、いやいやしかし、これは実に感慨深いものがありましたよ。

というのは、酒飲んでいた時代は、「大酒飲みに見える」的なことをよく言われていたからです。付き合いの薄い人はそんなにあからさまには言いませんが、「お酒強そうですよね」ぐらいは言ってきていました。そうした経験はオンリーワンではなく何度となくありました。

社交辞令でもうれしいのだ!

つまり、そのように言われるということは、要は「酒飲みの顔」になってたわけです。わかる人にはわかっていたってことですよね。むろん顔だけじゃなく全体的な雰囲気や、さすがに匂いはさせなかったと思いますが怪しいところです(汗)。あるいは、言動も含まれるかもしれません。とにかくそうしたインテグレートされた人間像(大げさ)で、酒飲みだと思われていたわけです。

酒をやめた今となっては、そのような酒飲みの雰囲気は私にもわかります。私の周りの人間を見ても、むろん先入観も当然あるけれども、飲んだくれは飲んだくれの雰囲気をかましてますよ。飲んでない時も、です。私に言われたくないでしょうが。

で、自分の自慢(?)を続ければ、「お酒を飲むようには見えない」と言われたということは、飲んだくれさんたちが共通して有している諸々の空気感みたいなのが、自分からは失われたのかもしれません。

もちろん、ただ一度だけ言われただけで、しかも社交辞令と思われるのに舞い上がるところは馬鹿そのものなのですが、しかしそういうふうに言われるのはやっぱり嬉しいものです。

なぜかと言えば、鼻持ちならない理論でありますが、断酒erは断酒しているというそれだけで自己肯定感を醸し、自分が一段上のような人間になったという屈折した優越感を持つことによって断者を続けていますので(俺だけか?)、それが証明されたように感じてしまったのですよ。はなはだ身勝手ながら。がはは。

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